山田水玉(やまだ みずたま)さんの短歌

かみさまにゆめであったらあほうでもいっしょけんめいいきなさいって
(山田水玉/短歌誌「うたつかい」2012年7・8月号より)

いっしょけんめいいきていきます(;o;)

山田水玉さんのこの歌、あほうっぽく、全ての字をひらがなにする工夫ももちろんだけど、何より「あほう」そのものがイイ!!アホでもあほでもなく、あほう。
アホはただの悪口であるのに対し、あほうはきちんとその人のことを思って諭すための叱り言葉、あるいは自分を指す場合は、自身を未完成と自覚しつつも卑下せず肯定する、ポジティブな言葉なんだなーと思いました。

この歌を読んで、文章的には全然共通点はないのに、なぜか宮沢賢治の「雨ニモマケズ」(の最後の部分)を思い出すのは、私だけでしょうか。
「ミンナニデクノボートヨバレ/ホメラレモセズ/クニモサレズ/サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
どちらも、愚直に生きてゆく決意をまっすぐに語った、とてもきれいな詩だと思います。

山田水玉さんの歌は、じわーっとやさしかったり、切なかったり、クスッと笑えたり、必ず一首の中に光る巧さがあります。すごく勉強してる人なんだろうなー。(文学フリマでお会いして少しだけお話ししたのですが、水玉さんの歌に本格的にハマりだしたのはその後から。またどこかでお会いできますように…)
ページ掲載歌(↓)も早々に十首に達し、水面下でまだ増え、すっかり水玉模様の湯呑さんであります。

【今後紹介予定のお気に入り短歌:山田水玉さん】
私たちだけの世界をつくろうよグリンピースを法で禁じて
(山田水玉/「うたらば」ブログパーツ短歌 お題「緑」採用歌)
生まれつきまるみを帯びているせいか重ねあっても隙間ができる
(山田水玉/「うたらば」ブログパーツ短歌 お題「生」採用歌)
喉元を過ぎたら忘れるはずだもの きっと私はキリンなんだね
(山田水玉/短歌誌「うたつかい」2012年5月号より)
人生のミスを赤ペン先生がとてもやさしくなおしてくれる
(山田水玉/短歌誌「うたつかい」2012年6月号より)
白銀の街がきらめく朝が来て君が何処かにいるだけでいい
(山田水玉/短歌誌「うたつかい」2012年12月号より)
下駄箱の前に小さなやぎがいてまた食べられる私の勇気
(山田水玉/短歌誌「うたつかい」2012年12月号より)
これ以上冬を長引かせるのならこちらにだって考えがある
(山田水玉/ブログ「Work in Progress」より)
だれひとりわたしにさわらないということはどうやらさぼてんなのか
(山田水玉/ブログ「Work in Progress」より)
よろこんで腕につかまるたぶんいま雪女よりひくい融点
(山田水玉/「めためたドロップス」より)

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