嶋田さくらこ(しまだ さくらこ)さんの短歌

空っぽでよかったいつか充たされて溢れる日々のしあわせを知る
(嶋田さくらこ/短歌なzine「うたつかい」第3号巻頭歌)

Web歌人たちの間で絶大な人気を誇り、毎号100人以上の投稿者がある短歌同人誌「うたつかい」。
嶋田さくらこさんは同誌の編集長を務めておられ、毎号巻頭歌を書かれています。
編集長様だからゴマをするわけではけっしてなく(^^; この歌には本当に心を鷲づかみにされました。

私の好きな寓話で、「ビン入りのキャンディーがビンの半分ぐらい残っているのを見て、『もう半分しかない』と思う人と、『まだ半分もある』と思う人がいる」(「ブッタとシッタカブッタ」/小泉吉宏)という話があります。つまり物事のネガポジはその人の心しだい…ということなのですが、掲載歌はこれでいけば究極のポジティブ。なにしろ「空っぽでよかった」なのです。もう冊子の後のページが全部白紙でも悔いはないと思った、感動の巻頭歌でした。

うたつかい」のことについて。
同誌2月号に投稿させて頂いたのを機に、これまでのバックナンバーを読んでみたくなって購入しました。
「うたつかい」編集部は「(募集内容に沿ってさえいれば)誰がどんな短歌を投稿してきても全て掲載する」という方針を貫いておられ、はじめこれを知った時は「えー?それじゃ内容がまとまらんやろ…」と正直思いました。
だって100人以上投稿者がいて、年齢も歌のスタンスもバラバラだろうし、そんなゴッタ煮みたいので大丈夫かいな?と思いながら、届いたバックナンバーを読んでみたのですが…

まとまっては、いませんでした。年齢も歌のスタンスもバラバラでした。でも。でもでも。
「まとまってなくて何が悪いんじゃあああこれおもろいわわわfsjきゃ・9q;vffzj;ぐぁtvj!!」みたいな、言語中枢が盛大にバグるくらいの感動に襲われました。こういうのが読みたかったんだ。心底そう思いました。
もし一定の選歌基準があれば切って捨てられていた迷作とか珍作とか、そういうのがごっそり。AさんにはゴミでもBさんには宝、みたいなことが歌の世界にもあると常々感じていましたが、まさにそういう歌がてんこ盛りでした。(王道的にうまい歌ももちろんありますが、全体的な雰囲気としてね ^^;)
そう、例えて言うなら「掘り出し物市」。きらびやかだけど買うものがないデパートと違って、ゴチャゴチャだけど一周すれば必ずめっけもんがある。そんな活気にあふれた「うたつかい」を、今後も注目していこうと思います。

あ、選歌をしている本や投稿サイトがダメだっていうんじゃ、けっしてなくて。ただ選者というのは、上記の例えでいえばお店の店主であり、店の品揃えに店主の見識や審美眼が如実に現れる、キビシイ商売(?)だと改めて思いました。売れないのは世に良い品がないからじゃなく、店主の眼が曇ってるだけ。その点、作る腕も読む眼力も超一流の田中ましろさんとか、ホント尊敬致します。

え? お ま え は ど う な ん だ ? って?
いやあのその、品は一級品を揃えているつもりなんですが(^^; 店の看板とか、商品につけてる説明書きがですね、なんかこう商品の魅力を削ぎまくってイマイチ売れなくて、どさくさに紛れて店主の手作り品とか置いたらもっと売れなくなっちゃって、いやはやあははははははははははははははは(壊れた)

【嶋田さくらこさん歌集「やさしいぴあの」より5首!】
おとうふの幸せそうなやわらかさ あなたを好きなわたしのような
結ばれるはずがなかった二人にも金色銀色降らせてよ秋
ちょこちっぷくっきーって言うときの顔好きだったとか早く忘れろ
桜草の浴衣よ咲きてよみがえれ母が乙女でありし日の夢
願わくばこの毎日がゆるやかに 〈とある未来〉 へ続きますよう
(嶋田さくらこ/「やさしいぴあの」より)

ご存じ、「誰でも投稿・必ず掲載」のすばらしき短歌同人誌「うたつかい」。その「うたつかい」の編集長である嶋田さくらこさんがこの冬(※2013年)、歌集「やさしいぴあの」を出されました。

この歌集、技巧的なところももちろんすごいのですけど、それよりも女性的な感性の鋭さというか、表現力にものすごく圧倒されます。自分がたまに作る女性視点の歌とか、まとめて燃やして焼き芋でもしたくなる(^^;
選ぶ言葉からして全然違うんですね。ああこういうのが女子力なのか…(いやちょっとちがうだろ)
男の私にはきっと辿りつけない境地。でもだからこそ何だか安心して、あたたかい気持ちで読めます(^-^)

おとうふの幸せそうなやわらかさ あなたを好きなわたしのような

おとうふ、いいですね。おみかん、とかも好きです。(しらんがな)
豆腐が幸せそうとか、食べてもらうために自らやわらかくなってるとか、私には絶対考えつかないなあ…。豆腐から無償の愛を思うなんて。もはや短歌抜きで、実生活向けにその感性をカケラでもほしいです(^^;
ひらがな多めのやわらかさ、私が真似できるとしたら多分それだけだなあ。

結ばれるはずがなかった二人にも金色銀色降らせてよ秋

うたらばvol.4「みのり」で初めて見た時から一目ぼれの歌。
「降らせてよ」の唇をとがらせた強がり感(?)、いいですね。「金色銀色」の情景も、すごくきれい。
根拠はないのですが、「結ばれるはずがなかった二人」は他者ではなく、自分たちのことを言っているように思います。別れがつらくて直視できないから客観視している。そこに金色銀色が降って美しく幕が引かれれば、いつか長い時間が過ぎた後で、胸を痛めずに回想できるようになるのでしょう。エエウタヤー(;o;)

ちょこちっぷくっきーって言うときの顔好きだったとか早く忘れろ

実はこの歌いちばん好きかも(^^; ちょこちっぷくっきー。
i音が3回あって、写真撮影の「チーズ」と同じように、笑ったような顔になるんですね。
恋人は普段あんまり笑わないけど、けっしてノリが悪いわけではなく、ちょこちっぷくっきーって言って、って言えばやってくれる優しい人だったのでしょう。ちょこちっぷくっきーのコミカルな響きと字面が、結句の「早く忘れろ」の叩きつけるような悲しみとの落差を増していて、切なさ倍増です。
こうした表現における、落差って大事ですね。例えて言えば、揚げ物で天ぷら粉をよく冷やしてから揚げると温度差でより一層カラリと揚がるみたいな。(ここまでの流れが台無しの例え)

桜草の浴衣よ咲きてよみがえれ母が乙女でありし日の夢

母から娘へ受け継がれる浴衣。浴衣に描かれた桜草は、袖を通されることによって初めて「咲いた」と言える。
長年の眠りから覚めて一斉に咲く桜草。これもまたきれいな情景です。文語調になっているのも、歴史というか長い時間を感じさせて良いですね。

願わくばこの毎日がゆるやかに 〈とある未来〉 へ続きますよう

さくらこさんのブログ「さくらんぼの歌」で初めて掲載された時にちょっと泣いた(;o;)歌。
誰にも〈とある未来〉のビジョンがあって、でもそこになかなかたどり着けなくて、絶望したり、一足飛びに行ってやろうと無茶をして体を壊したりするわけです。 でも、遅々として進まないこの毎日こそが、きっと〈とある未来〉と地続きになっていて、少しずつでも近づいている。一足飛びに行ける未来なんかニセモノだから、ゆるやかに、続いていればいい。
祈りのかたちでありながら、まっすぐな意志が感じられる、素敵な素敵な歌です。

【今後紹介予定のお気に入り短歌:嶋田さくらこさん】
神さまが抱えきれない悲しみを撒くので空に溢れる星よ
(嶋田さくらこ/短歌誌「うたつかい」2011年11月号より)
また逢える気がしていますこの星を巡って風はまあるいかたち
(嶋田さくらこ/短歌誌「うたつかい」2012年7・8月号より)
神様はいないと思う痛くないように小さく柏手を打つ
(嶋田さくらこ/ブログ「さくらんぼの歌」より)
あなたから遠ざかる旅始めます 飛び出し坊やの溢れる町で
(嶋田さくらこ/ブログ「さくらんぼの歌」より)
もうどこにいるのかわからないくらい私のぜんぶミジンコになれ
(嶋田さくらこ/ブログ「さくらんぼの歌」より)
独りでも歩いていける真っ直ぐで平らな道を教えてください
(嶋田さくらこ/ブログ「さくらんぼの歌」より)
瓶ビール挟んで餃子食べてたら結婚してもいいと思った
(嶋田さくらこ/「空きっ腹歌会」提出歌)

つぎのひと>