笹井宏之(ささい ひろゆき)さんの短歌

からすうりみたいな歌をうたうから すごい色になるまで、うたうから
(笹井宏之/「ひとさらい」より)

「すごい色」という言葉が衝撃でした。笹井さんが亡くなられ、真意は永遠に分かりませんが、 私にはこの歌、笹井さんの決意を詠んだ歌に思えてなりません。山の中で人知れず、ものすごく真っ赤に熟して、 そしてある日ぽたりと落ちてしまう、からすうり。病気のために外の世界に出ていくことができなくても、 けっして絶望せず、自分の中の言葉を熟させ続けて、誰かの心に残る短歌を、命が尽きるまで作っていこう、という決意。 そんな笹井さんだから作れた珠玉の歌の数々は、確かな力でたくさんの人の心を勇気づけています。

この森で軍手を売って暮らしたい まちがえて図書館を建てたい
(笹井宏之/「ひとさらい」より)

一見何を言ってるのか分からないけれど、解釈しだいで深い意味が見えてくる「詩的短歌」(西村が勝手に命名)の名手であった笹井さん。 「まちがえて〜したい」なんてありえない日本語をさらっと使ってくる才能の、早すぎる死が悔やまれてなりません。 労働の象徴としての軍手と、その対極にある文化的なものとしての図書館。アリのように汗水たらして働くのも、キリギリスのように芸術に親しみ、 人生を謳歌するのも、どっちも大事なことなんじゃないかな…と、笹井さんらしい控えめさが「まちがえて」に現れているように思えます。

野菜売るおばさんが「意味いらんかねぇ、いらんよねぇ」と畑へ帰る
(笹井宏之/「ひとさらい」より)

おばさんの一人ボケツッコミに思わず吹き出した歌ですが、ただ面白いだけでなくなぜか印象に残る歌で、 ネット上でも多くの方が言及されています。
自分の思いを優しい詩で包み、角をとって絶妙の丸さに仕上げる笹井さんのこと、 おそらく「この世に意味のないものなんてないんだ」という思いを、逆説的に訴えたのではないかと思います。
自分で言っておきながら「いらんよねぇ」と引っ込めて、とぼとぼと畑へ帰っていくおばさんの丸い背中が、 なんとも寂しげに想像されます。

生きてゆく 返しきれないたくさんの恩を鞄につめて きちんと
(笹井宏之/「てんとろり」より)

もっぱら詩的で幻想的な短歌を得意とした笹井さんには珍しい、ストレートな歌ですが、きっとお世話になった方々に「きちんと」お礼をいうために、あえてこうしたのでしょう。歌集のファンタジックな歌たちの中で、この歌が放つ異彩に、笹井さんの律儀さが偲ばれて涙を誘われます。
「てんとろり」が発行される前にこの世を去られた笹井さんですが、珠玉の作品たちに姿を変えて今も確かに生き続け、恩返し以上のことをしておられるように思います。

焼き鮭な人とグラジオラスな人どちらか選べ今すぐ選べ
(笹井宏之/「ひとさらい」より)

何だかよく分からない切迫感にあせってしまう歌。「え、えーと、焼き鮭?」とか疑問形で答えてしまいそう。
多分深い意味はなく、比較しようのないとりあわせのおかしさを狙ったものと思います。
(昨今流行りの「肉食系」「草食系」を想起させる歌にもとれますが、笹井さんがこの歌を詠んだのは少なくとも2008年より前で、まだそれらの言葉はなかったはず)
人生は選択の連続で、こういうわけのわからない決断をせまられることも多いけど、どう転んだってかまわないから気楽にいこうよ…という、笹井さんの優しいまなざしが感じられます。

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