われわれ三十代、ビックリマンに熱狂した世代の心をえぐる一首。
ロッテのビックリマンシールのパチモンとして、当時、社会問題にまでなった「ロッチ」の「ドッキリマンシール」。
今はもう、その堂々としたパクリっぷりが笑い話のネタになる懐かしい思い出ですが、当時「ロッチ」は子どもたちにとって憎むべきニセモノで、「本物とニセモノの区別がつかない間抜け」の代名詞となるほどに、一世を風靡したパチ中のパチでした。(ヤングな皆さんは某お笑いコンビのことかと思っただろうな…ヤングて…)
えっと。この歌は、そういう世代ネタを題材にしてはいますが、でもけっしてただの80年代あるあるネタではなく、ここでの「ロッチ」「ビックリマンシール」は、一種の比喩だと思います。
信じていたものが実は無価値なニセモノだったなんて、大人の世界にもよくあること。この歌は「あなたがいま熱狂しているそれは、本当に価値あるものですか?」という、何らかの自戒を込めた問いかけの歌でしょう。
でも、ここからは湯呑の読みすぎかもしれませんが、一方でこうも言っているように思います。
「何に価値があるかなんて、本当のところは誰も分からない。キラキラのシールに憧れたあの頃、純粋に憧れるものがあったあの頃は、幸せでしたね」
あの頃のビックリマンな子どもたちは今、人生のビックリマンを見つけたり、いまだ見つからなかったり、見つかったと思ったらロッチだったり、色々です。私個人の中でも色々です。(えっ)
ビックリマンの思い出を軸にして、何かに夢中になりすぎて生活に支障をきたしている人も、逆に憧れるものが何もない寂しい大人も、それぞれに何らかの思いが胸をよぎるでしょう。深い深い一首だと思います。