加藤千恵さんが高校生時代に詠んだこの歌は、授業で習った「最大多数の最大幸福」 なんて言葉に、若者らしく理不尽な怒りを感じたのかな、などと想像します(あくまで私の想像です)。 昔読んだ漫画「スプリガン」(原作:たかしげ宙/画:皆川亮二)に「誰かの犠牲の上に築かれる未来なんていらねーよ!」 という大好きなセリフがあって、この歌も同じニュアンスだな、と思いました。実現不可能なきれいごとかもしれないけど、 せめて気持ちだけでもこうありたい、と思います。
これも高校生ならではの、未来への希望にあふれた大好きな歌です。私のようなおっさんには絶対詠めないタイプの短歌。でも、女子高生には女子高生の、おっさんにはおっさんの、 その世代にしか、その時期にしか詠めない短歌があって、それがずっと後々、赤の他人や未来の自分に、その時の気持ちを鮮やかに再現させるタイムカプセルになる…というのが短歌の魅力なんだと思います。
なんとなく、片思いだけで終わってしまった恋っぽい歌。挽歌(死を悼む歌)ともとれますが、
いずれにせよその人が大好きだったことが、何も書いていないのにヒシヒシと伝わってきます。
私はあなたの言葉を、文字を、いくつもいくつも思い出せるよ。好きだったから。
描写のみで、いや描写のみだからこそ作者の心情が響く、文句なしの秀歌です。
今の若い人は知らんじゃろが、昔は「使い捨てカメラ」というもんがあってな…と
おじいちゃん語りしてしまう歌。
修学旅行に「写ルンです」とかを持っていってた世代には、懐かしい情景ですね。ケータイや
デジカメ全盛の時代にはもう使えない口実、時代の移り変わりを感じますのぅ。ずずー。(番茶をすする音)