枡野浩一(ますの こういち)さんの短歌

振り上げた握りこぶしはグーのまま振り上げておけ相手はパーだ
(枡野浩一/「てのりくじら」より)

シャレのきいた格言として、未来の辞書に載りそうな一首です。つまらない人のつまらない意地悪に腹を立ててしまいそうな時に唱えたい。枡野さんの歌はどれも、良い意味で等身大で分かりやすくてすぐに使えて、簡単そうに見えても実はものすごく作るのが難しい、憧れの境地です。

私には才能がある気がします それは勇気のようなものです
(枡野浩一/「歌 ロングロングショートソングロング」より)

枡野さんが13年ぶりに出した歌集「歌 ロングロングショートソングロング」を買いました。相変わらず素晴らしい、叩きつけるようなまっすぐすぎる言葉の数々。もうペチャンコに打ちのめされています。
この歌も、頬を張られるような一首。私なりに意訳すると:「才能があるとかないとかはただの言い訳。どんなにカッコ悪くても、いっぱい恥をかいても、信じる道を突き進む覚悟があるかどうかだけでしょう?」
詰問調ではなく、気づきのかたちで柔らかく書かれているから余計に響きます。ああもう逃げ出したい。

こんなにもふざけたきょうがある以上どんなあすでもありうるだろう
(枡野浩一/「ハッピーロンリーウォーリーソング」より)

枡野さんの素敵なポジティブ歌。予想もしない理不尽な目にあった日は、「明日は予想もしない幸運に恵まれるかもしれない」と思えばいい。ホントそうですね。
「今日」「明日」をあえてひらがなにすることで、「こんにち」「あした」という誤読を防いで、歌のリズムが崩れないよう配慮されています。この歌で勉強して、私も漢字表記に気をつかうようになりました。

嘘でしたでも愛でした始まりのなかった嘘に終わりはあって
(枡野浩一編/「もう頬づえをついてもいいですか?」より)

枡野さんの、こういう深いところをえぐってくる歌、好きだけどめっちゃコメントしづらい。でも好き。
結局果たされなかった二人の約束。でも、本気でそれを目指した時期が確かにあった。初めから嘘だった場合と「結果」は変わらないかもしれないけど、でも、その嘘とこの嘘は全然違うものだと思います。
ここまで書いて、ああ、枡野さんのあの歌はこういう意味だったのか、と一人納得しました。

結果より過程が大事「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」 (枡野浩一/「てのりくじら」より)

「だからなんやねん」と思いながらも、何となく心に残っていた歌がここでつながりました。
まったく印象の違う歌でありながら、意味するところは一緒。枡野さんのブレない太い芯が感じられます。

VSのあとに愛しい名を置いた対等であるふりをしたくて
(枡野浩一/「もう頬づえをついてもいいですか?」より)

これは枡野さんの歌ですが、穂村弘さんもまた、著書の中で似たことを書いておられました。曰く、「江戸川乱歩の小説で永遠のライバルとして描かれる明智探偵と怪人二十面相は、最愛の恋人同士のようにも思える」
俺の意図を正しく読めるのはお前だけ。俺の実力を余すところなく引き出してくれるのはお前だけ…確かにそのかけがえのなさは、恋人に通じるものかもしれません。
枡野さんの歌の場合は、高嶺の花に恋をしたと分かっていながら、いつか対等の力をつけて、あなたにとって唯一無二の存在になってやる…とちっぽけな自分を懸命に鼓舞する歌に思えます。
うちのサイトの場合はVS.う… いや、あの、えっと、ななななんでもありません。(100万年はやい)

さようなら さようなら また会いましょう また別れたら また会いましょう
(枡野浩一/「歌 ロングロングショートソングロング」より)

じわじわくる短歌、というのがあります。私にはこの歌がそうでした。
最初は「だからなんなの?」という印象でしたが、最近何だか気になってきました。

この歌は、一句ごとに自分と相手が(互いのいないところで)交互に独白しているように読むのではないかと思います。お互いを思うからこそ、時に寄り添い、時に離れるを繰り返す。そんな二人です。

――このお別れは、今よりも良いかたちで、またいつか会うためのお別れだから、おそれることなく、悲しむことなく、笑顔でさよならしましょう。何度別れても、何度でも会いに行きます。それが、私の幸せだから。

…うまく言えませんが、そんなふうに解釈しました。オトナな二人の歌です。

つぎのひと>