2014年5月の過去ログ

◇2014.05.11◇

【なごたん(名古屋短歌女子会(仮))の皆様の歌】
ミッテラン、ミッテランって誰って今 手を繋げそうな夕焼けのなか
(ニキタ・フユ/「短歌雑誌ネガティヴ」-14號より)
あざやかな夕陽 あざやかだった日々 海には何も投げなくていい
(氷吹けい/「なごたん。」より)
もみじ手のグリッサンドが遠のいて玩具の木琴は立ち枯れる
(綿菓子/「なごたん。」より)
私ではない人のもと帰ってく 君の背中を見失う傘
(劇団カルシウム/「なごたん。」より)
なんにつけ身軽を心がけてなおその指だけにすがるのはなぜ
(おちゃこ/「なごたん。」より)
火を投げてあなたの瞳に映したい無音の原野をどこまでもゆく
(けいこ/「なごたん。」より)
すり減った黄色い傘の先っちょでグランドに書く宣戦布告
(気球/「短歌雑誌ネガティヴ」-14號より)
得るたびに失っていく炎天にもう優しくは咲けないカンナ
(新谷希/「なごたん。」より)
資格など何もないこと知っていてなお愛してるまんまるの月
(ルイド リツコ/「なごたん。」より)
嫌われてしまっただろう充電のランプちいさく小指を照らす
(いないずみ。/「なごたん。」より)

名古屋短歌女子会(仮)という会があるそうです。略してなごたん(仮)。
女子会というと何やらキャピキャピしてそうですが、なごたんの皆様の作品群をみると、手練れの傭兵団のような凄みを感じます(※すっごく褒めてます)。色々な作風の方がおられますが、全体に甘すぎずうわつきすぎず程よい詩情で、潔くてカッコイイ。(実際の会は多分キャピぐらいはしてるんではないかと…知らんけど…)
そんな実力派集団の歌の数々をご紹介。同会の折本「なごたん。(テーマ「失」)」と、同会の綿菓子さんが「ポジティヴ通信」なるコーナーを執筆しておられる「短歌雑誌ネガティヴ」-14號より。

ミッテラン、ミッテランって誰って今 手を繋げそうな夕焼けのなか (ニキタ・フユ)

ミッテランwwwww
いいですねこの「あー聞いたことあるけど誰だっけ」な人名チョイス。(ちなみにフランスの元大統領。1916-1996←ググった) リズム的にもすごくいいです。
もしかしたら歳の差カップルを描いた歌なのかも?ミッテランなんて聞いたこともない若い世代の男の子を好きになって、いろいろ逡巡もあったけど最終的にうまくいって、手を繋げそうな、直前。ひらがなの「なか」も、全体の暖かい雰囲気に合ってていいですね。笑えて、さらにほんわかする、すばらしい歌。

あざやかな夕陽 あざやかだった日々 海には何も投げなくていい (氷吹けい)

みんなご存じ東海の雄、氷吹けいさん。どの歌も確かな実力が感じられます。 ファンすぎて評すんのこわい
「失恋して、思い出の品(だいたい指輪)を海に投げる」というありがちなシーンを逆手にとって、何も捨てるものなどない、思い出を一生抱きしめていきたい、そんなふうに優しく終わった恋を見事に表現されています。夕陽の赤の情景がまたきれいですね。

もみじ手のグリッサンドが遠のいて玩具の木琴は立ち枯れる (綿菓子)

遊ばれなくなったおもちゃって切ないですね。客観的な描写がされていますが、しかしおそらく主体はかつて木琴で遊んでいた「もみじ手」その人なのでしょう。
「グリッサンド」なんて難しい音楽用語を知っている、大人になってしまった自分。グリッサンドとはドレミファソラシドを流れるようにキャラララン♪てやるあれのことですが(はいググりました)、それが段階的に成長していく自分を暗示しているように思われます。木琴と時間の流れがうまく呼応した、きれいで哀しい歌です。

私ではない人のもと帰ってく 君の背中を見失う傘 (劇団カルシウム)

「私ではない人のもと帰ってく」はシチュエーションとしてはありがちですが、心情表現として雨が降っていること、また「雨」の語を直接使わないところがうまいと思いました。
そして何より「見失う」。これは実際には見失ってるんじゃなく、自分で自分の傘を傾けて彼の背中を見えなくしているんですね。そうして気持ちを断ち切ろうとしている。でもそれを「見失う」と他動的に言うことで、容易に断ち切れない思いが、ひしひしと伝わってきます。

なんにつけ身軽を心がけてなおその指だけにすがるのはなぜ (おちゃこ)

断捨離とか何とか世の中お片づけブームですが(※湯呑さんトレンドは世間より一年ほど遅れています)、確かに一生おひとり様でいるのが、究極の身軽なのかもしれません。しかし人間はさみしがりやで、恋愛したり結婚しちゃったりしてエントロピーを増大させちゃうものです。
もう一首の「両の手に乗らないものはいらないと言いつつ書き足す結婚線(おちゃこ)」も同様の主張で惹かれましたが、こういう業というか、人間の非合理な部分を描くのが短歌、ひいては文芸であると思ってみたり。思わなかったり。ラジバンダリ。

火を投げてあなたの瞳に映したい無音の原野をどこまでもゆく (けいこ)

「あなた」とのものすごい隔たり。でもあきらめない。いや多分まっとうな幸せはとっくにあきらめてるけど、「あなた」に何かを残したい。そのすさまじい一図さ。
音もなく燃え上がる夜の遼原が、おそろしく、でもとても美しい。情念の心象風景としてぴったりです。
(一方で「どこまでもゆく」の主語が「あなた」である可能性もあって、そうすると解釈がだいぶ変わってくるのですが…もしそうだったらゴメンナサイm(_ _)m)

すり減った黄色い傘の先っちょでグランドに書く宣戦布告 (気球)

「黄色い傘」は小学校に標準装備されている(?)あの子ども用の傘のことでしょう。「先っちょ」や「グランド(「グラウンド」じゃない)」という子どもっぽい言い方も、もちろんあえてのこと。
子どもたちだけのファンタジーな世界から、現実世界への挑戦状。なんかすんごいのが魔法陣から召喚されてきそうな感じ。「すり減った黄色い傘」のアイテム性がすばらしいです。

得るたびに失っていく炎天にもう優しくは咲けないカンナ (新谷希)

「優しくは」の「は」がすごくいい。たった一字でズンと響きます。真っ赤なカンナの花の、どこかしらくたびれ果てたようなイメージをうまく使われています。 炎天にあぶられ続けて、もう人に優しくする余裕はなくなってしまったけど、でも咲き続ける。女性の痛々しい美しさが、とても切ない一首です。
…ところで新谷さんはWeb歌集親知らずをアップしておられるのですが、これがまたすごいです。しみじみする良い歌がいっぱい(;o;)写真の編集センスも秀逸。また天がニ物を与えた人を見つけてしまった。嫉妬歯ぎしりギリギリギリ。皆様もぜひ読んでギリギリいやしみじみして下さい。

資格など何もないこと知っていてなお愛してるまんまるの月 (ルイド リツコ)

回文やアナグラムなど、言葉を自在に操ることに長けているリツコさん。今回は図形を巧みに詠み込まれています。この歌では四角と丸。(もう一首「負の証拠掻き集めては△をかってに描いて×にした罰」は三角とバツ)
「月」が主体自身なのか、それとも片思いの相手が「月」なのか意見が分かれるところですが(分かれない?)、私は前者でとりました。この場合片思いの相手は「太陽(みたいな人)」。やはり四角くなく丸であり、月(=自分)とは比較にならない圧倒的な存在。そして基本的に月は太陽と一緒にいることはできず、恋人になる資格はない。それでも愛し続ける。満月は円グラフでいう100%であり、相手に会うことすらできない勝負に全てを賭ける。ごくごく稀に起こる日食を夢見て。エエウタヤー(;∀;)

嫌われてしまっただろう充電のランプちいさく小指を照らす (いないずみ。)

好きな人を怒らせてしまった。謝ったけど、多分許してもらえない。分かっていながらも万一を信じて、とっくに照明を落とした闇の中、返事のメールを待って眠れない夜を過ごしt…って湯呑が駄文を連ねなくても誰でも一読すれば情景がありありと浮かぶわ!景の切り取り方うますぎ!!さすが「大人短歌」と書いて「いないずみ。」と読むお方!!!
この歌は「小指」が良いですね。その弱々しさ、どことない艶めかしさがすばらしい。他の何指でもダメ。薬指とかもう死刑。言葉のセレクトの間違いなさに、確かな力量を感じます。

◇2014.5.11◇

【「MORNINGCALL GIRL」(by ななみーぬさん)より3首!】
永遠のような顔して笑うなら今すぐさっさと死んでしまえよ
「いい子だね」と頭を撫でられるたびこころのうらにつけられるきず
何度でも生まれ変わって生きていく 忘れたことも忘れてしまう
(ななみーぬ/MORNINGCALL GIRL)

2013年秋、紀伊國屋書店グランフロント大阪店で行われた「短歌フェア」にフリーペーパーとして出品された「MORNINGCALL GIRL」。作者はななみーぬさん。
カラー刷りでめっちゃかっこいいイラストの表紙、爽やかで鼻血の出そうなセンスのいいタイトルに、「このクオリティでフリーペーパー!?」「作者は大学生!このイラストも自分で描いてるだと!?」「才能の宝石箱や〜」「まいうー」等々、当時の話題をさらいました。後半すいません。
そんなブームに乗り遅れること半年、今ではすっかり他のことでも有名になっているななみーぬさんをまぶしく見つつこのミニ歌集の紹介をさせて頂きます。ぼくのことMr.オクレと呼んで下さい。

永遠のような顔して笑うなら今すぐさっさと死んでしまえよ

ロックですね。(超テキトーな評)
一見罵倒のようですが、「お前もっと自分のしあわせのために生きろよ!!!」という強烈な鼓舞の歌だと思います。他人のために自分のことを何もかも後回しにして仏様のように笑ってる人、いますよね。
言ってる人も言われた人もいい人。字面とまったく逆のあたたかさが感じられる面白い歌です。

「いい子だね」と頭を撫でられるたびこころのうらにつけられるきず

何だか妙に印象に残る歌でした。作用反作用の法則みたいな。
褒められてうれしい反面、何か大事なものを失ってしまったような後悔がある。そんな複雑な気持ち。
たとえば世の長男長女の方々は、「お兄ちゃんだから」「お姉ちゃんだから」と色々なものを我慢させられ、それで「いい子だ」と頭を撫でられてきたと思います。でも本当は、思い切り甘えたい時もあった。そういうことの積み重ねで人格が形成されて、しっかりした物わかりのよい大人になって、それはそれで良かったと思う。でもいつも時々考える。自分が違った環境に育っていたら、弟妹のように甘え上手になっていたら…。
自分が捨ててきた、もう取り戻せないものへの悔い。「こころのうら」という表現が絶妙です。
以上、生まれてこのかたずーっと弟だった湯呑がお送りしました。甘え上手かどうかは知らん。

何度でも生まれ変わって生きていく 忘れたことも忘れてしまう

これも深いですね。上の二首もそうですが、本当に大学生ですかあなた。どこで悟ったのよそういうの。
人生において必ず大なり小なりある、どうしようもない理不尽を受けた時の克服方法。「忘れたことも忘れてしまう」がすばらしいです。
かつて歌人・枡野浩一さんが、「最大の復讐は『あなたが幸福に過ごすこと』です」(「枡野浩一のbot」より)と言っておられ、うぉぉぉと感動したのですが、この歌もまた別の側面から同じ解にたどり着いているように思います。人生において何があったんだななみーぬさん。「大なり小なり」と打つと(≧∀≦)が出てくる脳みそお花畑のおっちゃんにその悟りを伝授して下さい。

===
ななみーぬさんは現在、大学短歌会に入って短歌の腕をますます磨きながら、そのキレッキレのデザインセンスを会の宣伝に活かして、新入生勧誘に絶大な貢献を果たしています。 田中ましろさんやこはぎさんや嵯野みどりはさんのような、短歌力とデザイン力を併せ持つ稀有な人材のタマゴがここに。きっと社会人になったら短歌界隈で争奪戦必至。でもどこへいこうとも、その伸びやかな作風を維持してほしいです。あと短歌歴あんまり変わんないのに先輩面する湯呑さんをゆるしてほしいです。

◇2014.5.11◇

【「ふたまわり / 花とチュロス」より6首!】
何もかも他人のぼくらを毎朝同時に運ぶE231
(さとうすずすえ/「ユレル」)
鼻筋が通った好きな横顔はわたしじゃない人を見てる顔
(なるなる/「トライアングル」)
物語のようにうまくいかないが電話を手に取る日曜の朝
(田邊葉月/「日曜の朝のための物語」)
どうやって褒めたらいいかわからずにあなたの鼻緒ばかりみている
(ろくもじ/「続きを待って」)
僕たちはきっと幸運同じ日に違う夕日を交換できる
(赤井悠利/「空を見つめる」)
気がつけば熊の食器も増えていてロングヘアをくしゃくしゃにする
(小川千世/「ふたりぐらし」)

どうも。若い女性歌人ばかり取り上げていると絶賛非難ゴーゴーの湯呑です。そんなんちゃうわー!ということで今回は全員20代の女子短歌グループ「花とチュロス」を取り上げます。えっと石だけは投げないでください。

「ふたまわり / 花とチュロス」は「花とチュロス」の同人誌第1号です。
2013年11月に東京であった第17回文学フリマでお目見えし、その後12月の大阪の「短歌な大忘年会」でも販売されました。「ふたまわり」が書名で「花とチュロス」がグループ名です。「secret base / ZONE」みたいな感じです。湯呑さんのJ-POP知識は10年以上前に止まっています。
「ふたまわり」の由来は彼女ら6人全員が昨年当時24歳で干支ふたまわりだったから。また「花とチュロス」は「と」以外はメンバーの名前(姓名の名)の頭文字のアナグラムだそうです。シャ乱Qみたいな。もういいよ。

掲載歌は比較的ひねりのない、分かりやすい歌が多いですが、それは彼女らが若いからとかではなく、リーグ戦形式(?)で総当たり相聞をするという難易度の高いことをやっているからです。相聞すなわち恋歌の送り合いですから、一方は男性になりきるわけでなお難しい。 でもそれが結果的に、素直で読みやすい、短歌にちょっと興味をもった若い世代が読むのにぴったりの歌集に仕上がったのではないかと思います。
勝手ながら、以下のご紹介歌はストーリーになるように掲載順を変えさせて頂きました。実際の個々の相聞の中で読むと、また違う雰囲気が味わえます。

何もかも他人のぼくらを毎朝同時に運ぶE231 (さとうすずすえ)

片思いの歌ですね。E231は通勤電車の車両番号。毎朝見かける彼は、まだ私の存在すら知らないかもしれないまったくの他人。この時点では実際的な物語はなんにも始まっていないわけですが、二人が乗っている列車に名前をつけることで、勝手に運命共同体にしちゃっている。
E231の無機質というかムリヤリ感が、かえっていじらしい。主体が実は鉄子さんだという可能性は排除しましょう。(そんなん誰も考えてないよ)

鼻筋が通った好きな横顔はわたしじゃない人を見てる顔 (なるなる)

ある種の現実を突きつける、悲しい発見の歌。
横顔好きの女性は、つまり報われない恋をしているということなのですね。さらに考えれば、男女は両想いになったとたんに、相手の一番好きだったところが見えなくなってしまうということが往々にしてあるんですね。色々考えさせられる歌でした。
まあしかし、おつきあいするとまた別の所が輝いてくることもあると思うし、人生結果オーライだと思います。などと湯呑容疑者は歌評とは完全に関係ないことを熱弁しておr

物語のようにうまくいかないが電話を手に取る日曜の朝 (田邊葉月)

好きな人に初めて電話を掛けるシーン。ドラマなんかだと実に気軽に電話を掛けて一切噛むこともなくすらすらと相手を誘うわけですが、現実は、掛ける前のシミュレーションに10倍ぐらいの時間を費やしたあげくに本番は噛み噛みでめっちゃつっけんどんで相手が何か言おうとしてるのにあせってブチ切ってしまって底なしの自己嫌悪に沈んでいくことになりがちです。※描写が妙に具体的なのは気にすんな。
でもそんな現実を踏まえてなお、電話をする。決意みなぎる感じがいいですね。「日曜の朝」に明るい前途が予感されます。あと「受話器を手にする」とかじゃないのが平成世代だなぁとかまた関係ないことを供述しておr

どうやって褒めたらいいかわからずにあなたの鼻緒ばかりみている (ろくもじ)

これは男性視点で詠まれた歌です。初めての浴衣デートの場面ですね。
主体の彼はめちゃくちゃうれしいし彼女の浴衣姿は最高にかわいいんだけど、何をどう褒めていいのか分からない。もうはらたいらさんに全部みたいな気持ちなんだけど、そんなこと言ってスベったら目も当てられない。だからついうつむいて赤い鼻緒ばっかり見ちゃう。
まだ若くて恋愛経験のない二人のぎこちない感じを見事に描いた秀歌だと思います。多分はらたいらさんって分からないと思いますごめんなさい。

僕たちはきっと幸運同じ日に違う夕日を交換できる (赤井悠利)

遠距離恋愛の歌ですね。一読してちょっと意味を考えて、分かった時にじわりと広がる余韻。巧いなあ。
メールで交換しあうそれぞれの夕日。遠距離だから本当は色々つらいはずなのにそれを一切言わずに、言い聞かせるような「きっと幸運」。健気な感じが胸を打ちます。うまくいくよあんたら。(誰やねん)

気がつけば熊の食器も増えていてロングヘアをくしゃくしゃにする (小川千世)

これも男性視点で詠まれた歌。ついに一緒に暮らし始めた二人。同棲か新婚か分かりませんが、とにかく幸せそうな感じが伝わってきます。
「熊の食器」は彼女の趣味で、そんなカワイイ系が徐々に浸透してきた新居に苦笑いしながらも、彼女が自分に変に遠慮せずにきちんと自己主張していることをうれしく思う彼。 肩ひじ張らずに適度に自分をさらけ出しあって、この関係を末永く続けていこうとしている二人を描いた、心あたたまる一首です。
(ただこれがもし本当に男性が詠んだ歌だったらちょっとナルシストすぎて引く^^; 女性が描く男性像だからいいんだなぁ…。その点で興味深い歌です)

===
「花とチュロス」の活動としては他に、2014年3月にPDFミニ歌集が期間限定で出されています(残念ながら今はもうダウンロードできません…)。そして2014年秋の文学フリマでは、冊子第2弾が出るとのこと!こうご期待!
短歌で様々な世代が集まるのも面白いですが、こうして同世代でワイワイやるのも楽しいでしょうね。十二周年記念特別号「さんまわり」が出るまで、末永く続きますように。その頃にはよんまわりの湯呑さんより。

◇2014.5.19◇

【「じだらけ」第1号〜第3号より12首!】
マリメッコがうまく言えない母といてヘルシンキはもう乗り継ぎの場所
(榊原尚子/じだらけ第1号「ポーランド」)
君のラストノートが香る 何年後も静かで静かなアウシュヴィッツで
(榊原尚子/じだらけ第1号「ポーランド」)
花は咲く瞬間すこしうつむいてどんな祈りをつぶやくだろう
(北村早紀/「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」)
旅に出る僕になんにもいわないで君が差し出すこころみずいろ
(北村早紀/「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」)
「筋肉のように心も超回復すればいいのに」 律儀なあなた
(榊原尚子/じだらけ第2号「うかれてる間に」)
水平線みたいな爪の生え際を近づけ遠くへさらってほしい
(榊原尚子/じだらけ第2号「うかれてる間に」)
かわるものかわらないものかわりものなにがなんでもかえてゆくもの
(北村早紀/じだらけ第2号「蝶々と青」)
終わったよ、言われて開けた目の前に広がる終わりの先にある空
(北村早紀/じだらけ第2号「蝶々と青」)
誰だって胸に機関を持っていて始動のキーは声を聞くこと
(堂那灼風/じだらけ第3号「その先へ吹く」)
一億円 一億円あればわたくしはアパート建てて家賃で暮らす
(西山ぜんまい/じだらけ第3号「気付け。」)
「逢魔が時に会おうよ」とだけ約束しちゃんと手をふりあえた河原で
(榊原尚子/じだらけ第3号「王国」)
鍵穴の話をしよう 待つ者と待たれる者は共犯者だね
(北村早紀/じだらけ第3号「花餞(はなむけ)」)

京大短歌会の名物コンビ、「京短最後の良心」榊原尚子さん&「ぴょんす!」北村早紀さん。
それぞれに優れた文才を持ちながら方向性はまったくかぶらず、姉妹のように仲良しな二人のツイッターでの壊れ風味トークにはたくさんのファンがいます。湯呑さんとか湯呑さんとか。(*本当にたくさんいます)
そんな二人がおくるネットプリント、その名も「じだらけ」シリーズは、背景に細かい字で「じだらけ」がびっしり書き込まれた、本当に字だらけのハイセンスなデザイン(デザイン?)。一面の「じだらけ」にたまに柿ピーのピーぐらいの割合で「自堕落」「血だらけ」が混ざっている、とってもガーリーな作品集です。ええとっても。現在3号まで出ており、各号4首ずつ紹介します。

マリメッコがうまく言えない母といてヘルシンキはもう乗り継ぎの場所 (榊原尚子)

記念すべき「じだらけ」第1号はテーマ連作集。この歌は榊原さんのポーランド旅行を題材にした連作より。

この歌は…えっと…実は何が良いのかうまく説明できない…(湯呑名物いきなり自爆)
でも誓って言いますが、きっと一生忘れない歌です。超好き。あえて解釈するなら、穏やかな世代交代であり、自分が先頭に立って進路を決めていくべき大人になった瞬間が描かれた歌でしょう。「ヘルシンキ」が実際の地名ではなく一種の通過儀礼みたいで、全体に寓話のような雰囲気。響きのよい韻律も相まって、とても清々しい感じです。「かごめかごめ」みたいな半ば呪術的な、不思議に記憶に残る歌でした。(中二っぽいまとめ…)

君のラストノートが香る 何年後も静かで静かなアウシュヴィッツで (榊原尚子)

「ラストノート」って帳面だと思った人、怒らないから手ぇあげて!オレだ!!
…ノートって(香水などの)香りのことなんですね。ここでの「ラストノート」は訳すなら「残り香」でしょうか。おそらく強制収容所の収容者の遺稿とも掛けてると思うので、あながち間違いでもないと信じたい恥ずかしい。
えっと(まじめに)、美しいダブルミーニングだと思います。そして四句の、「静かで静かな」の言い知れぬ思いが詰まった感じが胸を打たれます。世界史上に残る負の遺産を見て、あまりの悲惨さに怒りも悲しみも通り過ぎて、最後に残ったとても穏やかな感情。真摯な挽歌であると思います。

花は咲く瞬間すこしうつむいてどんな祈りをつぶやくだろう (北村早紀)

「じだらけ」第1号の北村さんのテーマは「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」。
ツイッターでの同名企画の時に作った歌とのことで、特定のフォロワーさんのイメージを詠んでいます。でもそういう事情を知らなくても、鑑賞に堪えうる歌なのがさすがです。
この歌は「うつむいて」がいいですね。外界へ出ていく時の不安感を巧く表現し、「祈り」とも呼応している。そういえば正面きって祈ることってまずなく、たいていうつむきながら祈りますよね。切実な祈りであればあるほど。
情景が客観的に描かれており、フォロワーさんへの応援歌なのだと思います。第1号に掲載の「フォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」六首には単純な賛美の歌は一つもなく、そこが逆に、北村さんがフォロワーのことを本当に真剣に考えて作ったことの証明であるように思います。

旅に出る僕になんにもいわないで君が差し出すこころみずいろ (北村早紀)

若干歌謡曲っぽいようにも思いますが、それは「フォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」の難易度を考えれば無理もないところと思います。
完全な五七五七七で、最後に「こころみずいろ」が韻を踏んでいて、よどみない爽やかさ。でも「みずいろ」つまり涙色が、声に出せない思慕を見事に表現していて、透明ながらじんわりした切なさに包まれる、しみじみ良い歌です。

===
続いて「じだらけ」第2号の歌。第2号は「短歌研究」新人賞への応募作品(の落選供養号)なのですが、榊原さん北村さんの本気を見た、非常にハイレベルな作品集です。読むたびに好きな歌が変わる名作揃いで、個人的にはこの第2号が一番好き。
(でも、第1号第3号はテーマの料理の仕方が秀逸で、それぞれに魅力があるのです by 八方美人)

「筋肉のように心も超回復すればいいのに」 律儀なあなた (榊原尚子)

「超回復」って知りませんでしたが、筋肉をトレーニングした上で休ませれば、回復時に元よりもいくらか筋肉量が増加する現象なのですね。「傷つくたびに強くなる」ってあれですね。
でも心はそうはいかない。罵られること、裏切られることにはいつまでも慣れられない。それが分かっていながら、心を削るような仕事をいつまでも律儀に続ける「あなた」。「超回復すればいいのに」と茶化して笑う「あなた」への、主体の声なき心配が泣かせます。

水平線みたいな爪の生え際を近づけ遠くへさらってほしい (榊原尚子)

その発想はなかったわー(感嘆)。でもきれいな例えです。さらわれることになんの恐れもない爽やかさ。「水平線」の明るい未来の予感。美しい手を持つ、おそらくはそうたくましくない、線の細い恋人。でもその手はとてもあたたかく、大きな船のように、安心して身をゆだねられる。ええわー私もさらってー(台無し)

かわるものかわらないものかわりものなにがなんでもかえてゆくもの (北村早紀)

これもかなり脳に焼き付いた歌。主に仕事で凹んだ時などに呪文のように唱えている湯呑さんです。
変わるべきものも、変わらないでいるべきものもある。そういう大人の分別がついた上でなお、自ら変えていきたいものがある。そんな自分が「変わり者」と見られていることもよく知っている。けっして独りよがりにならず、常に省みながら進んでいく。そういう決意。なんて大人なんだ北村さん…(;∀;)ツイテイキタイ

終わったよ、言われて開けた目の前に広がる終わりの先にある空 (北村早紀)

「終わりの先にある空」!!「終わりの先にある空」!!「終わりの先にある空」!!
※フレーズが心にどストライクの湯呑さんはもうそれしか言えなくなります。
…このうた超好きです。こういう彼岸(あの世)の風景みたいなものを詠んだ例は色々とあると思いますが、この歌は「空」に一切の形容がないところが、かえって最も美しい空を描き出せていると思います。すばらしい。

===
続いて「じだらけ」第3号の歌。第3号のテーマはなんと「中二病」。中二病を死ぬまでこじらせる所存の榊原さんの熱望により実現したこの企画。わせたんこと早稲田大学短歌会から二人のゲストも加わって、めっちゃ中二中二してます。

誰だって胸に機関を持っていて始動のキーは声を聞くこと (堂那灼風)

この歌はわせたんの堂那灼風(どうなしゃくふう)さんの連作「その先へ吹く」の一首。全体にスペースオペラ風(古くてすいません…)の連作で、別の歌では「宇宙人」と書いて「そらびと」と読むなど、企画趣旨を非常によく理解した中二語を炸裂させておられます。
掲載歌もほどよく中二臭が漂っていますね。「機関」とはエンジンのことで、胸の機関とはつまり心臓のことと思われます。始動キーなどなくても心臓は動きますが、他者がいないと、必要とされないと、人は生きていけない…ということなのでしょう。無機的な書き方が逆に何だかいじらしく、あたたかい歌です。

一億円 一億円あればわたくしはアパート建てて家賃で暮らす (西山ぜんまい)

こいつ一発なぐりたい(^^;
西山ぜんまいさんの中二病連作は全体にこんな感じの八首で八発なぐりたい(会ったこともないのにすいません…)。中二病というか中学生的発想の歌なのですね。これも企画趣旨を見事に突いています。
このぜったい不動産経営のふの字も知らん感じのテキトーな妄想。でも一億円をただ使うんじゃなくて、利益が永続的に得られるシステムを作るオレ天才みたいなへっへーん感。すばらしいやっぱなぐりたい。

「逢魔が時に会おうよ」とだけ約束しちゃんと手をふりあえた河原で (榊原尚子)

さすが中二王榊原さん。「逢魔が時」は使っとくべきですね。連作タイトルの「王国」もキてますね。
この歌で思い出したのが、昔読んだ日中戦争の下級兵士の回想録でした。とある戦場で日がな中国兵と銃撃戦を繰り返していて、夜になって数人で近くの川に水を汲みに行った。暗がりに見慣れない兵が数人いて、別の部隊の奴らだと思って煙草をあげたらお返しに饅頭をくれた。次の夜もまた同じように物々交換をして、しばらくそれが続いた後、彼らが交戦中の中国兵だと気づいた。でもそれが互いに分かったあとも、なぜだか、夜の川での友好的な物々交換はずっと続いた。昼間は敵同士として殺し合いをしながら。
…榊原さんの歌も、昼間は敵同士だから「逢魔が時」しか伝えられず、夜に会っても手をふることしかできなかったのではないかな、と思いました。集団の立場に従わざるをえない自分たちが、夜の川の幻想的な雰囲気の中でだけ、素直な気持ちになれる。「逢魔が時」の大仰なコミカルさも、立場を守らざるを得ない二人が精一杯考えた符牒だと考えると、とても切ないものに思えます。

鍵穴の話をしよう 待つ者と待たれる者は共犯者だね (北村早紀)

これも寓話的な歌ですね。鍵と鍵穴が合わなければ開かない。待つ者と待たれる者は当然知り合いではあるだろうけど、「共犯者」と言うことで、二人だけの秘密を持つ、恋人よりもなお甘美な関係をうまく表現しています。
「鍵穴」の比喩はエロ読みじゃなくて(そんなん湯呑さんしか言ってません)、心の機微が分かり合えるというか、フィーリングが合うというか、そういうことだと思います。カチッってはまる人いるよね。まだ会ったことないけどいるよね。いるって言って。
…あと北村さんの連作も、「花餞(はなむけ)」という造語とか(普通は「餞」だけで「はなむけ」)、「真中」と書いて「なか」とか、「時間と書いて『とき』と読め」的な中二風味満点でした。さすが。

それにしてもこの中二企画、難しかったと思います。ふつう短歌は中二的な大きすぎる世界観やキザたらしい言葉を使うと必ず失敗するもので、みんなもちろんそれを知りながらあえて挑んで、玉砕しないギリギリのところで作品をまとめあげたからスゴイ。その力量と中二スピリッツをここに讃えます。面白くて勉強になる企画でした。

===
榊原さんと北村さんは、この春発行された京大短歌会の機関誌「京大短歌」20号の制作も担い、昨年今年と本当に大活躍でした。(「京大短歌」もいつか感想書きます…←地味に宣言)
でもどんなに忙しくても、常にテンション高く、男子先輩方の黒縁眼鏡や浴衣に萌え上がることを忘れず、そんな先輩方の盗撮撮影活動も忘れず、ぴょんぴょんな日々を楽しんでいる、何とも応援したくなる二人です。
「じだらけ」シリーズは3号をもってしばらくはなさそうですが、二人がいつまでも無敵タッグを組んで、いつか忘れた頃にまた何かやらかしてくれることを切に期待しています。

◇2014.5.25◇

【 価格未定処女短歌集「初回無料」より5首!】
外角の高めに甘く飛んできた君に手を出すしかない打席
(「君と長電話した後」より)
四年半ふたをしてきた炊飯器開ける覚悟で電話をかけた
(「二十五の夜」より)
ブラジャーが黄土色でもいいじゃない君こそ僕の運命の人
(「スピッツ短歌」より)
焼き、ペース、注文、しゃべり、飲みっぷり、気配り全てチェックしてます
(「女の子はサメを飼っている」より)
ロックってなによロックはロックだろこんな会話ももう六年目
(「自動みそ汁調理マシーン」より)

「人妻『価格未定』の処女短歌集、『初回無料』500円!」
…というカオスなキャッチフレーズでおなじみの、価格未定さんの第一歌集「初回無料」。
いかにもこの方らしく、タイトルからしてもうどっからツッコんだらいいのか。とりあえず、「処女作」という言葉を聞くたびにつねづね感じていたモニョッとした気持ちを正面から斬ったところに拍手です。
ちなみに内容はけっしてエロ歌集ではなく本気の歌集ですが、でもエロくないかというとそうでもなく、本気なんだけど脱力系で、熱血だけど哀愁で、えっとなんというかモニョッと (※めっちゃおもろい歌集です)

外角の高めに甘く飛んできた君に手を出すしかない打席

例えが秀逸な歌。その球ボールかもしれんで(^^; でも「手を出すしかない」…後がないんですね。
今までどストライクをさんざん見送ってきて焦ってるところに、この打てと言わんばかりの球。いやもう罠でも何でも打っちゃえ!ピッチャーという名の神様の含み笑いが見えても打っちゃえ!見苦しいほどに体勢崩して食らいついちゃえ!打球がギリギリでもファウルポールに当たってもホームランはホームランや!!
(何か途中から身につまされてきたらしい湯呑さん)

四年半ふたをしてきた炊飯器開ける覚悟で電話をかけた

一番好きな歌(^-^)
この歌も例えがすばらしいですね。四年半。もう何かの生命体になってそう。ピッコロ大魔王とか。それでも開けるんだから相当な覚悟です。元気玉用に元気を分けてあげたい健気さ。
ところでこの歌、読んだ人の99%が「炊飯器には炊いたご飯(だったもの)が入っている」と考えると思うけど、実際はどこにもそうは書いてないんですね。むろんそう読まなければ面白くもなんともない(^^;から、みんなそう読むだろうけど、「空かもしれないじゃないか」という1%の国語原理主義者(?)と、河原で殴り合った上で友だちになりたい気がちょっとした。変なこと書いてすいません。この歌自体は書いている通り、超好きな歌であり秀歌だと思います。

ブラジャーが黄土色でもいいじゃない君こそ僕の運命の人

いいじゃない(≧∀≦)  ※すいません超反省してます
この歌はスピッツ(犬じゃなくバンドね)の大ファンである価格未定さんが、スピッツ愛のあまりにその曲名を折り込んだ短歌を作りまくった「スピッツ短歌」のコーナーから。この歌は「運命の人」です。しかし「ロビンソン」しか知らない湯呑さんはスピッツ要素を華麗に全面無視して書きます。価格未定さん今度会ったら小一時間土下座させてください。
男性視点で詠まれた歌ですが、「黄土色」の色気もクソもない感じがいいですね。なんでこの流れで「運命の人」という結論になるのか。もう「君」だったらドドメ色でも何でもええんちゃうんか。論理の破綻から、逆にミもフタもない惚れ込みようが伝わってきて素敵です。

ところで以前、「ふたまわり」の小川千世さんの歌の時にも書いたのですが、この歌もまた、「女性が作る男性視点歌」の典型例であるように思えます。 むろんそれが悪いというのではなく、それだからイイ。女性(つまり実際の自分)を若干卑下した内容にすることによって、包容力のある男性像をうまく描けていると思います。実際の男性歌人にはできない、したらブーイングなやり方。
歌会なんかだと、こういう歌は作者の性別がたちどころに特定されそうです。私(湯呑)が女性視点の歌を作ってもあっさりバレることはよくあります。きっと互いにどこか化けそこなっている部分があるのでしょう。おもしろいなあ。

焼き、ペース、注文、しゃべり、飲みっぷり、気配り全てチェックしてます

女の人ってそうなんや… ((((;゚Д゚)))) いやでも、男でも、意識的でなくてもやっぱり心のどこかでチェックしてますよね。お互い様です。
この歌は顔の造作とかオシャレさとかそういうんじゃなく、人間的魅力に注目しているのが救いですね。いやボク人間的魅力もないけどさ、そういうのって評価基準が一定じゃないから、たとえばしゃべり下手がプラスに作用することだってあるからさ、あるよね、あるって言ってよ #しらんがな
この歌は連作「女の子はサメを飼っている」の中の一首で、同連作にはこうした女性のしたたかさを描いた歌が多数収められています。でも、したたかなんだけど、どこか懸命さがあって、ああそっちも必死なんだな、とちょっとホッとします。サメっていうのが象徴的でいいですね(^-^)

ロックってなによロックはロックだろこんな会話ももう六年目

この二人の「割れ鍋に綴じ蓋」感がいいですね。下積み長そうな感じも。
「精神論ぶってないで売れてみなさいよ!」なんて口では言いながら、実は誰よりも彼の不器用なロック魂のファンである彼女。この彼女には、「ロックとは、リズムアンドブルースやカントリーミュージックから強い影響を受けた1940年代の…」とか語りだす奴じゃ絶対にダメだし、「い、岩?」とか1mmも面白くないボケをかます湯呑さんでもダメ。ほらやっぱそういうのって評価基準が一定じゃないから #しつこい
情景がたちどころに浮かんでくるのがいいですね。ボロいアパートでギター抱えてる、ビンボーだけどあったかい光景がありありと。シーンの切り取り方がうまい一首だと思います。

===
以上、「初回無料」より、価格未定さんの作風というか芸風が光る五首をお届けしました!昨年末から未来短歌会の笹公人欄に所属された価格未定さん、その選択に超納得(^^; 今でもこのトバしっぷりなのに、さらに短歌念力を磨かれたらどうなるか。放送できるのか。ドキドキです。
ちなみに価格未定さん、今は早くも新作「高橋とエロ本」を精力的に売り出し中。こちらはまだ湯呑も読んでませんが、タイトルのアレっぷりから健在というか顕在な感じですので間違いないかと思います!何がよ。