歌会「臨の会」のこと。

◇2013.05.06◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その1)】
あの頃「も」良かったねえが口ぐせのあなたがほほえむ五月晴れです
(西村湯呑/第3回「臨の会」提出歌)

引越し完了につき「あるあるのうた」再開です!
まずは5月4日に京都にて開催された、第3回「臨の会」のお話です。

臨の会」は短歌結社や学生短歌サークルの垣根を取り払った、誰でも参加できるボーダーレス歌会です。世代も短歌歴も様々な人々が集まることによって、「いつものメンバーによる内輪ノリ」ではない新鮮な意見が飛び交うマジでマジな歌会であり、そのマジさに惹かれて、この度わたくし湯呑も参加を申込みました。
私にはこれが「はじめてのうたかい」(←おつかいっぽく読んで)で、最初はかなり緊張していましたが、進行役を務めて下さった京大短歌の安達さん、阿波野さん、廣野さんのトリオ漫才のような名司会っぷりにより、大笑いのうちに緊張も解けて、めっちゃ楽しい初歌会になりました!!
というわけで、「臨の会」について今回から3回連続でレビューします!第1回は自分の提出した歌がどう批評されたかについて。(いつも自作大好きでごめんなさい)

えー、掲載歌ですが、トップ賞でも何でもなく、かろうじて1票だけ頂けた、反省点のかたまりのような歌です。(例によって当日までは自信満々俺サイコー気分だった)そんなんで申し訳ないのですが、語らせて下さい。

この歌を作った時、「読み手にどれだけ伝わるか」について、3つの点を歌会で確かめてみようと思いました。

(1)「も」が読み流されないようにカギカッコを付けたのは、アリかナシか。

(2)「五月晴れ」について、「『さつきばれ』は5月の晴れではなく梅雨の晴れ間を指し、5月の晴天を意味する場合は『ごがつばれ』と読む」ことをネットで知って、でもなるべく「さつきばれ」で読んでもらって「5月の晴れ」の意味にとってほしいために、「五月晴れ」の表記でルビ無しにした。その工夫はうまくいったか。

(3)実は挽歌(人の死を悼む歌)のつもり。故人の笑顔が5月の空に浮かぶイメージだけど、そこまで伝わるか。

で、結果。

(1)「カギカッコはナシ。なくても読者に意図は伝わる。むしろ読者なめとんのかコラ」(最後のは幻聴)
 という意見が圧倒的多数。今回一番の反省点でした。
 (後の打上会で「作者として強調したい部分だったんだからあってもいいんじゃない?」というご意見も
 頂きましたが、それにしても「なくても伝わるよ」が皆さん一致するところでした)

(2)上記の解釈を麦太朗さんがほぼ完璧に読み取って説明して下さったので鳥肌が立ちました(;-;)
 やっぱりすごいや麦太朗さん。ただ、麦太朗さんも特にこの工夫を評価されたわけではなく、そこまで
 「五月晴れ」に固執する必要はなかったんじゃないかと今では反省しています。

(3)まったくもって誰もそんな解釈しなかったよ!打上会で何人かに聞いたけどみんな「はぁ?」だったよ!
  ちょっと人生捨ててきます!

というわけで、前回も書いた「自分の意図と読み手の受取り方とのギャップ」が如実に現れる結果となり、たいへん勉強になりました。
もちろんそれですぐギャップを解消できるわけではないし、ひょっとすると一生の課題なのかもしれませんが、歌会参加を繰り返していくことで少しずつ少しずつ埋まっていくのではないか、それが歌会の醍醐味の一つではないか…と思っています。

今回はここまで。次は自作から離れるのでどうか読んで下さい(^^;

◇2013.05.09◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その2)】
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
(山崎方代/「左右口」より)

5月4日の歌会「臨の会」レビュー第2回、はじまりはじまり!
ちなみに掲載歌は「臨の会」とはぜんっぜん関係ない山崎方代さんの歌ですが、後々の話に関わってくるのでとりあえず置いといて下さい(^^;

5月4日の「臨の会」には、はるばる関東から「ガルマン歌会」の谷川由里子さん、堂園昌彦さんが来ておられました。(なお、「ガルマン歌会」って何ぞやという話をすると三万字ぐらいになるので各自ググって下さい)
谷川さんは明朗快活弁舌滔々、堂園さんは泰然自若一言千金な感じの見るからにキレモノなお二人で、そして二人とも絵に描いたような歌会大好き人間で、「臨の会」では的確な批評、斬新な読みを次々に打ち出し、議論の盛り上がりに絶大な貢献をなさっていました。

で、ある歌の批評の際に、批評の前置きとして、谷川さんがこんなことを言っておられました。
「(どんなに歌の主張や表現技巧が気に入らなくても)歌会では作者の人格を否定するようなことは絶対言っちゃいけない。ううん、歌会だけじゃなく、何においてもそうあるべきだと思う」
きっぱりと言い切った谷川さんはそれはもう死ぬほどかっこよくて、嫁にいきたいほどでした(?)

歌会から帰って、谷川さんのこの言葉や、歌会参加者の皆さんの発言を反芻するうちに、歌会とは、歌会における批評とは何か、ちょっと分かった気がしました。

1)歌会は歌の技術的な良し悪しを議論する場であって、歌の主張の是非を議論する場ではない。
たとえば「殺人って楽しいね」みたいなとんでもない歌があったとしても、歌会ではけっして「その主張ってどうよ?」みたいなことは言わず、あくまで「言葉の選び方、並べ方、リズムは最善か、視点や描写が月並みではないか…」といった表現技法だけを議論するべきなのです。

2)歌会では「感想」を言うのではなく「批評」をしなければならない。作者の技術向上に貢献できるよう、評価するにしても批判するにしても、作者や参加者を納得させ得る根拠をもって意見を言わなければならない。
「この歌は私の個人的体験にマッチしたのでスキ」とか、「私のポリシーに合わないのでキライ」とか、そういう無根拠なのは(歌会では)ダメなのです。

これらの観点から、「臨の会」での湯呑さんの言動をふり返ってみると、もう顔から火が出て大炎上な感じです。

湯呑 「この歌は比喩が分かりやすくていいと思いました。私は分かりやすい歌が好きなので…」
(参加者の皆さん、心の中で「知らんがなボタン」を連打)

湯呑 「自虐的な歌だと思いました。やりもしないであきらめるなんて、やってみなくちゃわかんないのに!」
(参加者の皆さん 「いやべつにココ『いのちのでんわ相談室』やないんやし…」)

皆さんとっても優しい方々なので、誰かにたしなめられるようなことは一切なかったのですが、振り返ってみると私以外にこの種の発言をする人がいなかったので、皆さんちゃんと分かっておられるんだなーと思いました。
うあああああああもう琵琶湖とびこみたい。

掲載歌、私のペンネームの由来にもなった大好きな歌ですが、何か失敗をやらかした作者(方代さん)に、その失敗をとがめることなく、温かいお茶をそっと出す優しい誰か。もうありがたくって申し訳なくってしどろもどろになる方代さん…という解釈で私は読みました。
臨の会で出会った皆さんもこんなふうにすごく優しく温かく、なーんも分かってない初心者湯呑を見守って下さったのだと思います。ビバ臨の会。ラヴ。

長文読んで下さってありがとうございました。次回第3回は、打上げ会で参加者の一人、中山靖子さんから教えてもらった「逆選」について書きたいと思います。

◇2013.05.12◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その3)】
スキ、キライ、ドチラデモナイ花占い どちらでもないならば悲しい
(ユキノ進/歌会たかまがはら お題「恋」採用歌)

はい!また臨の会とはぜんっぜん関係ない歌で始まる5/4臨の会レビュー第3回です!
(そもそも「レビュー」っていうのも違うような…「歌会よもやま話」かな…なにそれダサい…)

「臨の会」が終わった後、打上げ飲み会に参加したのですが、そこで参加者の一人、中山靖子さんから面白いお話を聞きました。
「『ぎゃくせん』って知ってますか?今日の臨の会ではなかったけど、『ぎゃくせん』をする歌会もあるんです」

( ゜д゜)ギャクセン? ←ハリセンみたいなものを考えた湯呑さん

中山さんの丁寧な説明で分かったのですが、「ぎゃくせん」とは「逆選」つまりワースト歌を選歌することです。
通常、歌会では自分が良いと思った歌ベスト1〜3ぐらいまでに持ち点を投票するのですが、「逆選」をする場合はワースト1〜3にも投票するのです。これによりトップ賞と同時にワースト賞も決まるわけです。
歌会初参加で逆選ぶっちぎり一等賞だったら、短歌どころか人生捨てたくなるところだったので、無くてよかった…とその時は思ったのですが、後々になってだんだんと、「いや逆選もアリだよな…」と思えてきました。

みんな自分の好きな歌の良い点はバンバン褒めたいけれど、良くない歌への批判はあんまりしたくない。誰の歌かは分からなくても参加者の誰かのなんだし、その人を傷つけたくない。そう思うわけです。でも悪い点を指摘しなければ、その人はどこが悪かったか分からないままで、引き続き良くない歌を作り続けてしまうか、最悪短歌をやめてしまうことになってしまいます。
それに、褒める意見は、作者としては「意図が当たった!」ことが分かるという意味ではいいけど、それ以上の益はなくてちょっとさみしい。逆に批判的な意見は改善アドバイスのカタマリであって、作者にとって非常に有意義です。だからあらかじめ「逆選」を設けて、「逆選だから言いますが、この歌はこの点がちょっと…」と批判的な意見を言いやすくするのが、批判の苦手なニッポンジン的に良いんじゃないかと思いました。

今回臨の会では逆選はなかったのですが、皆さんさすがの歌会熟練者で、逆選なんかなくても批判的な意見が積極的に出されていました。いやーもうあの人もこの人も言う言う言う(^^; でもそのどれもが「批判こそ向上につながる」という思いに沿った、愛のあるものだったと思います。

また、通常の歌会では得票数の多い歌から順に評をしていくことが多いようですが、今回臨の会では、資料掲載順で歌の評がされていき、どの歌も得票数に関わらずきちっと時間をとって議論されていました。多分私のような初心者が、票がとれずに最後の方に回されてコメントもほとんどなくて鴨川に身投げしたくなるのを予防する処置だったと思いますが、「あらゆる人に開かれた歌会」の看板はダテじゃない、と感激しました。

掲載歌、もう皆さんお分かりと思いますが、「好きよりも嫌いよりも、一番悲しいのが関心すら払ってもらえないこと」というのを言いたくて引用させて頂きました。ユキノさん素晴らしいです。今後もし歌会で自分の歌が批判されても、それも愛だと思えるようなオトナを目指して頑張りたいと思います。

色々考えさせてもらった「臨の会」。安達さん阿波野さん廣野さん、他の参加者の方々、本当に本当に、ありがとうございました!!次回もぜひぜひ、参加したいです!

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<前回記事の補足というかなんというか>
前回記事、「歌会とは参加者の技術向上の場である!」という立場で書きましたが、そればっかりでもないなあ、交流の場でもあるし、向上とか関係なく良い歌を鑑賞して語り合いたい、というのも別にアリだよなあ…と反省しました。特にポジティブな意見については、「感想」であってもあまり気にせずどんどん言った方がいいのかな、と思いました。
(あの記事で今度の「空き家歌会」に出る自分の首を思いっきり絞めたような(^^;…皆さん私が「感想」を言っても、どうかあったかい目で見て下さい…)