じだらけ(by 榊原尚子さん&北村早紀さん)

◇2014.5.19◇

【「じだらけ」第1号〜第3号より12首!】
マリメッコがうまく言えない母といてヘルシンキはもう乗り継ぎの場所
(榊原尚子/じだらけ第1号「ポーランド」)
君のラストノートが香る 何年後も静かで静かなアウシュヴィッツで
(榊原尚子/じだらけ第1号「ポーランド」)
花は咲く瞬間すこしうつむいてどんな祈りをつぶやくだろう
(北村早紀/「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」)
旅に出る僕になんにもいわないで君が差し出すこころみずいろ
(北村早紀/「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」)
「筋肉のように心も超回復すればいいのに」 律儀なあなた
(榊原尚子/じだらけ第2号「うかれてる間に」)
水平線みたいな爪の生え際を近づけ遠くへさらってほしい
(榊原尚子/じだらけ第2号「うかれてる間に」)
かわるものかわらないものかわりものなにがなんでもかえてゆくもの
(北村早紀/じだらけ第2号「蝶々と青」)
終わったよ、言われて開けた目の前に広がる終わりの先にある空
(北村早紀/じだらけ第2号「蝶々と青」)
誰だって胸に機関を持っていて始動のキーは声を聞くこと
(堂那灼風/じだらけ第3号「その先へ吹く」)
一億円 一億円あればわたくしはアパート建てて家賃で暮らす
(西山ぜんまい/じだらけ第3号「気付け。」)
「逢魔が時に会おうよ」とだけ約束しちゃんと手をふりあえた河原で
(榊原尚子/じだらけ第3号「王国」)
鍵穴の話をしよう 待つ者と待たれる者は共犯者だね
(北村早紀/じだらけ第3号「花餞(はなむけ)」)

京大短歌会の名物コンビ、「京短最後の良心」榊原尚子さん&「ぴょんす!」北村早紀さん。
それぞれに優れた文才を持ちながら方向性はまったくかぶらず、姉妹のように仲良しな二人のツイッターでの壊れ風味トークにはたくさんのファンがいます。湯呑さんとか湯呑さんとか。(*本当にたくさんいます)
そんな二人がおくるネットプリント、その名も「じだらけ」シリーズは、背景に細かい字で「じだらけ」がびっしり書き込まれた、本当に字だらけのハイセンスなデザイン(デザイン?)。一面の「じだらけ」にたまに柿ピーのピーぐらいの割合で「自堕落」「血だらけ」が混ざっている、とってもガーリーな作品集です。ええとっても。現在3号まで出ており、各号4首ずつ紹介します。

マリメッコがうまく言えない母といてヘルシンキはもう乗り継ぎの場所 (榊原尚子)

記念すべき「じだらけ」第1号はテーマ連作集。この歌は榊原さんのポーランド旅行を題材にした連作より。

この歌は…えっと…実は何が良いのかうまく説明できない…(湯呑名物いきなり自爆)
でも誓って言いますが、きっと一生忘れない歌です。超好き。あえて解釈するなら、穏やかな世代交代であり、自分が先頭に立って進路を決めていくべき大人になった瞬間が描かれた歌でしょう。「ヘルシンキ」が実際の地名ではなく一種の通過儀礼みたいで、全体に寓話のような雰囲気。響きのよい韻律も相まって、とても清々しい感じです。「かごめかごめ」みたいな半ば呪術的な、不思議に記憶に残る歌でした。(中二っぽいまとめ…)

君のラストノートが香る 何年後も静かで静かなアウシュヴィッツで (榊原尚子)

「ラストノート」って帳面だと思った人、怒らないから手ぇあげて!オレだ!!
…ノートって(香水などの)香りのことなんですね。ここでの「ラストノート」は訳すなら「残り香」でしょうか。おそらく強制収容所の収容者の遺稿とも掛けてると思うので、あながち間違いでもないと信じたい恥ずかしい。
えっと(まじめに)、美しいダブルミーニングだと思います。そして四句の、「静かで静かな」の言い知れぬ思いが詰まった感じが胸を打たれます。世界史上に残る負の遺産を見て、あまりの悲惨さに怒りも悲しみも通り過ぎて、最後に残ったとても穏やかな感情。真摯な挽歌であると思います。

花は咲く瞬間すこしうつむいてどんな祈りをつぶやくだろう (北村早紀)

「じだらけ」第1号の北村さんのテーマは「#ふぁぼってくれたフォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」。
ツイッターでの同名企画の時に作った歌とのことで、特定のフォロワーさんのイメージを詠んでいます。でもそういう事情を知らなくても、鑑賞に堪えうる歌なのがさすがです。
この歌は「うつむいて」がいいですね。外界へ出ていく時の不安感を巧く表現し、「祈り」とも呼応している。そういえば正面きって祈ることってまずなく、たいていうつむきながら祈りますよね。切実な祈りであればあるほど。
情景が客観的に描かれており、フォロワーさんへの応援歌なのだと思います。第1号に掲載の「フォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」六首には単純な賛美の歌は一つもなく、そこが逆に、北村さんがフォロワーのことを本当に真剣に考えて作ったことの証明であるように思います。

旅に出る僕になんにもいわないで君が差し出すこころみずいろ (北村早紀)

若干歌謡曲っぽいようにも思いますが、それは「フォロワーさんを思い浮かべて短歌詠む」の難易度を考えれば無理もないところと思います。
完全な五七五七七で、最後に「こころみずいろ」が韻を踏んでいて、よどみない爽やかさ。でも「みずいろ」つまり涙色が、声に出せない思慕を見事に表現していて、透明ながらじんわりした切なさに包まれる、しみじみ良い歌です。

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続いて「じだらけ」第2号の歌。第2号は「短歌研究」新人賞への応募作品(の落選供養号)なのですが、榊原さん北村さんの本気を見た、非常にハイレベルな作品集です。読むたびに好きな歌が変わる名作揃いで、個人的にはこの第2号が一番好き。
(でも、第1号第3号はテーマの料理の仕方が秀逸で、それぞれに魅力があるのです by 八方美人)

「筋肉のように心も超回復すればいいのに」 律儀なあなた (榊原尚子)

「超回復」って知りませんでしたが、筋肉をトレーニングした上で休ませれば、回復時に元よりもいくらか筋肉量が増加する現象なのですね。「傷つくたびに強くなる」ってあれですね。
でも心はそうはいかない。罵られること、裏切られることにはいつまでも慣れられない。それが分かっていながら、心を削るような仕事をいつまでも律儀に続ける「あなた」。「超回復すればいいのに」と茶化して笑う「あなた」への、主体の声なき心配が泣かせます。

水平線みたいな爪の生え際を近づけ遠くへさらってほしい (榊原尚子)

その発想はなかったわー(感嘆)。でもきれいな例えです。さらわれることになんの恐れもない爽やかさ。「水平線」の明るい未来の予感。美しい手を持つ、おそらくはそうたくましくない、線の細い恋人。でもその手はとてもあたたかく、大きな船のように、安心して身をゆだねられる。ええわー私もさらってー(台無し)

かわるものかわらないものかわりものなにがなんでもかえてゆくもの (北村早紀)

これもかなり脳に焼き付いた歌。主に仕事で凹んだ時などに呪文のように唱えている湯呑さんです。
変わるべきものも、変わらないでいるべきものもある。そういう大人の分別がついた上でなお、自ら変えていきたいものがある。そんな自分が「変わり者」と見られていることもよく知っている。けっして独りよがりにならず、常に省みながら進んでいく。そういう決意。なんて大人なんだ北村さん…(;∀;)ツイテイキタイ

終わったよ、言われて開けた目の前に広がる終わりの先にある空 (北村早紀)

「終わりの先にある空」!!「終わりの先にある空」!!「終わりの先にある空」!!
※フレーズが心にどストライクの湯呑さんはもうそれしか言えなくなります。
…このうた超好きです。こういう彼岸(あの世)の風景みたいなものを詠んだ例は色々とあると思いますが、この歌は「空」に一切の形容がないところが、かえって最も美しい空を描き出せていると思います。すばらしい。

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続いて「じだらけ」第3号の歌。第3号のテーマはなんと「中二病」。中二病を死ぬまでこじらせる所存の榊原さんの熱望により実現したこの企画。わせたんこと早稲田大学短歌会から二人のゲストも加わって、めっちゃ中二中二してます。

誰だって胸に機関を持っていて始動のキーは声を聞くこと (堂那灼風)

この歌はわせたんの堂那灼風(どうなしゃくふう)さんの連作「その先へ吹く」の一首。全体にスペースオペラ風(古くてすいません…)の連作で、別の歌では「宇宙人」と書いて「そらびと」と読むなど、企画趣旨を非常によく理解した中二語を炸裂させておられます。
掲載歌もほどよく中二臭が漂っていますね。「機関」とはエンジンのことで、胸の機関とはつまり心臓のことと思われます。始動キーなどなくても心臓は動きますが、他者がいないと、必要とされないと、人は生きていけない…ということなのでしょう。無機的な書き方が逆に何だかいじらしく、あたたかい歌です。

一億円 一億円あればわたくしはアパート建てて家賃で暮らす (西山ぜんまい)

こいつ一発なぐりたい(^^;
西山ぜんまいさんの中二病連作は全体にこんな感じの八首で八発なぐりたい(会ったこともないのにすいません…)。中二病というか中学生的発想の歌なのですね。これも企画趣旨を見事に突いています。
このぜったい不動産経営のふの字も知らん感じのテキトーな妄想。でも一億円をただ使うんじゃなくて、利益が永続的に得られるシステムを作るオレ天才みたいなへっへーん感。すばらしいやっぱなぐりたい。

「逢魔が時に会おうよ」とだけ約束しちゃんと手をふりあえた河原で (榊原尚子)

さすが中二王榊原さん。「逢魔が時」は使っとくべきですね。連作タイトルの「王国」もキてますね。
この歌で思い出したのが、昔読んだ日中戦争の下級兵士の回想録でした。とある戦場で日がな中国兵と銃撃戦を繰り返していて、夜になって数人で近くの川に水を汲みに行った。暗がりに見慣れない兵が数人いて、別の部隊の奴らだと思って煙草をあげたらお返しに饅頭をくれた。次の夜もまた同じように物々交換をして、しばらくそれが続いた後、彼らが交戦中の中国兵だと気づいた。でもそれが互いに分かったあとも、なぜだか、夜の川での友好的な物々交換はずっと続いた。昼間は敵同士として殺し合いをしながら。
…榊原さんの歌も、昼間は敵同士だから「逢魔が時」しか伝えられず、夜に会っても手をふることしかできなかったのではないかな、と思いました。集団の立場に従わざるをえない自分たちが、夜の川の幻想的な雰囲気の中でだけ、素直な気持ちになれる。「逢魔が時」の大仰なコミカルさも、立場を守らざるを得ない二人が精一杯考えた符牒だと考えると、とても切ないものに思えます。

鍵穴の話をしよう 待つ者と待たれる者は共犯者だね (北村早紀)

これも寓話的な歌ですね。鍵と鍵穴が合わなければ開かない。待つ者と待たれる者は当然知り合いではあるだろうけど、「共犯者」と言うことで、二人だけの秘密を持つ、恋人よりもなお甘美な関係をうまく表現しています。
「鍵穴」の比喩はエロ読みじゃなくて(そんなん湯呑さんしか言ってません)、心の機微が分かり合えるというか、フィーリングが合うというか、そういうことだと思います。カチッってはまる人いるよね。まだ会ったことないけどいるよね。いるって言って。
…あと北村さんの連作も、「花餞(はなむけ)」という造語とか(普通は「餞」だけで「はなむけ」)、「真中」と書いて「なか」とか、「時間と書いて『とき』と読め」的な中二風味満点でした。さすが。

それにしてもこの中二企画、難しかったと思います。ふつう短歌は中二的な大きすぎる世界観やキザたらしい言葉を使うと必ず失敗するもので、みんなもちろんそれを知りながらあえて挑んで、玉砕しないギリギリのところで作品をまとめあげたからスゴイ。その力量と中二スピリッツをここに讃えます。面白くて勉強になる企画でした。

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榊原さんと北村さんは、この春発行された京大短歌会の機関誌「京大短歌」20号の制作も担い、昨年今年と本当に大活躍でした。(「京大短歌」もいつか感想書きます…←地味に宣言)
でもどんなに忙しくても、常にテンション高く、男子先輩方の黒縁眼鏡や浴衣に萌え上がることを忘れず、そんな先輩方の盗撮撮影活動も忘れず、ぴょんぴょんな日々を楽しんでいる、何とも応援したくなる二人です。
「じだらけ」シリーズは3号をもってしばらくはなさそうですが、二人がいつまでも無敵タッグを組んで、いつか忘れた頃にまた何かやらかしてくれることを切に期待しています。