2013年5月の過去ログ

◇2013.05.06(更新再開)◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その1)】
あの頃「も」良かったねえが口ぐせのあなたがほほえむ五月晴れです
(西村湯呑/第3回「臨の会」提出歌)

引越し完了につき「あるあるのうた」再開です!
まずは5月4日に京都にて開催された、第3回「臨の会」のお話です。

臨の会」は短歌結社や学生短歌サークルの垣根を取り払った、誰でも参加できるボーダーレス歌会です。世代も短歌歴も様々な人々が集まることによって、「いつものメンバーによる内輪ノリ」ではない新鮮な意見が飛び交うマジでマジな歌会であり、そのマジさに惹かれて、この度わたくし湯呑も参加を申込みました。
私にはこれが「はじめてのうたかい」(←おつかいっぽく読んで)で、最初はかなり緊張していましたが、進行役を務めて下さった京大短歌の安達さん、阿波野さん、廣野さんのトリオ漫才のような名司会っぷりにより、大笑いのうちに緊張も解けて、めっちゃ楽しい初歌会になりました!!
というわけで、「臨の会」について今回から3回連続でレビューします!第1回は自分の提出した歌がどう批評されたかについて。(いつも自作大好きでごめんなさい)

えー、掲載歌ですが、トップ賞でも何でもなく、かろうじて1票だけ頂けた、反省点のかたまりのような歌です。(例によって当日までは自信満々俺サイコー気分だった)そんなんで申し訳ないのですが、語らせて下さい。

この歌を作った時、「読み手にどれだけ伝わるか」について、3つの点を歌会で確かめてみようと思いました。

(1)「も」が読み流されないようにカギカッコを付けたのは、アリかナシか。

(2)「五月晴れ」について、「『さつきばれ』は5月の晴れではなく梅雨の晴れ間を指し、5月の晴天を意味する場合は『ごがつばれ』と読む」ことをネットで知って、でもなるべく「さつきばれ」で読んでもらって「5月の晴れ」の意味にとってほしいために、「五月晴れ」の表記でルビ無しにした。その工夫はうまくいったか。

(3)実は挽歌(人の死を悼む歌)のつもり。故人の笑顔が5月の空に浮かぶイメージだけど、そこまで伝わるか。

で、結果。

(1)「カギカッコはナシ。なくても読者に意図は伝わる。むしろ読者なめとんのかコラ」(最後のは幻聴)
 という意見が圧倒的多数。今回一番の反省点でした。
 (後の打上会で「作者として強調したい部分だったんだからあってもいいんじゃない?」というご意見も
 頂きましたが、それにしても「なくても伝わるよ」が皆さん一致するところでした)

(2)上記の解釈を麦太朗さんがほぼ完璧に読み取って説明して下さったので鳥肌が立ちました(;-;)
 やっぱりすごいや麦太朗さん。ただ、麦太朗さんも特にこの工夫を評価されたわけではなく、そこまで
 「五月晴れ」に固執する必要はなかったんじゃないかと今では反省しています。

(3)まったくもって誰もそんな解釈しなかったよ!打上会で何人かに聞いたけどみんな「はぁ?」だったよ!
  ちょっと人生捨ててきます!

というわけで、前回も書いた「自分の意図と読み手の受取り方とのギャップ」が如実に現れる結果となり、たいへん勉強になりました。
もちろんそれですぐギャップを解消できるわけではないし、ひょっとすると一生の課題なのかもしれませんが、歌会参加を繰り返していくことで少しずつ少しずつ埋まっていくのではないか、それが歌会の醍醐味の一つではないか…と思っています。

今回はここまで。次は自作から離れるのでどうか読んで下さい(^^;

◇2013.05.09◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その2)】
こんなにも湯呑茶碗はあたたかくしどろもどろに吾はおるなり
(山崎方代/「左右口」より)

5月4日の歌会「臨の会」レビュー第2回、はじまりはじまり!
ちなみに掲載歌は「臨の会」とはぜんっぜん関係ない山崎方代さんの歌ですが、後々の話に関わってくるのでとりあえず置いといて下さい(^^;

5月4日の「臨の会」には、はるばる関東から「ガルマン歌会」の谷川由里子さん、堂園昌彦さんが来ておられました。(なお、「ガルマン歌会」って何ぞやという話をすると三万字ぐらいになるので各自ググって下さい)
谷川さんは明朗快活弁舌滔々、堂園さんは泰然自若一言千金な感じの見るからにキレモノなお二人で、そして二人とも絵に描いたような歌会大好き人間で、「臨の会」では的確な批評、斬新な読みを次々に打ち出し、議論の盛り上がりに絶大な貢献をなさっていました。

で、ある歌の批評の際に、批評の前置きとして、谷川さんがこんなことを言っておられました。
「(どんなに歌の主張や表現技巧が気に入らなくても)歌会では作者の人格を否定するようなことは絶対言っちゃいけない。ううん、歌会だけじゃなく、何においてもそうあるべきだと思う」
きっぱりと言い切った谷川さんはそれはもう死ぬほどかっこよくて、嫁にいきたいほどでした(?)

歌会から帰って、谷川さんのこの言葉や、歌会参加者の皆さんの発言を反芻するうちに、歌会とは、歌会における批評とは何か、ちょっと分かった気がしました。

1)歌会は歌の技術的な良し悪しを議論する場であって、歌の主張の是非を議論する場ではない。
たとえば「殺人って楽しいね」みたいなとんでもない歌があったとしても、歌会ではけっして「その主張ってどうよ?」みたいなことは言わず、あくまで「言葉の選び方、並べ方、リズムは最善か、視点や描写が月並みではないか…」といった表現技法だけを議論するべきなのです。

2)歌会では「感想」を言うのではなく「批評」をしなければならない。作者の技術向上に貢献できるよう、評価するにしても批判するにしても、作者や参加者を納得させ得る根拠をもって意見を言わなければならない。
「この歌は私の個人的体験にマッチしたのでスキ」とか、「私のポリシーに合わないのでキライ」とか、そういう無根拠なのは(歌会では)ダメなのです。

これらの観点から、「臨の会」での湯呑さんの言動をふり返ってみると、もう顔から火が出て大炎上な感じです。

湯呑 「この歌は比喩が分かりやすくていいと思いました。私は分かりやすい歌が好きなので…」
(参加者の皆さん、心の中で「知らんがなボタン」を連打)

湯呑 「自虐的な歌だと思いました。やりもしないであきらめるなんて、やってみなくちゃわかんないのに!」
(参加者の皆さん 「いやべつにココ『いのちのでんわ相談室』やないんやし…」)

皆さんとっても優しい方々なので、誰かにたしなめられるようなことは一切なかったのですが、振り返ってみると私以外にこの種の発言をする人がいなかったので、皆さんちゃんと分かっておられるんだなーと思いました。
うあああああああもう琵琶湖とびこみたい。

掲載歌、私のペンネームの由来にもなった大好きな歌ですが、何か失敗をやらかした作者(方代さん)に、その失敗をとがめることなく、温かいお茶をそっと出す優しい誰か。もうありがたくって申し訳なくってしどろもどろになる方代さん…という解釈で私は読みました。
臨の会で出会った皆さんもこんなふうにすごく優しく温かく、なーんも分かってない初心者湯呑を見守って下さったのだと思います。ビバ臨の会。ラヴ。

長文読んで下さってありがとうございました。次回第3回は、打上げ会で参加者の一人、中山靖子さんから教えてもらった「逆選」について書きたいと思います。

◇2013.05.12◇

【「臨の会」に行ってきましたの巻(その3)】
スキ、キライ、ドチラデモナイ花占い どちらでもないならば悲しい
(ユキノ進/歌会たかまがはら お題「恋」採用歌)

はい!また臨の会とはぜんっぜん関係ない歌で始まる5/4臨の会レビュー第3回です!
(そもそも「レビュー」っていうのも違うような…「歌会よもやま話」かな…なにそれダサい…)

「臨の会」が終わった後、打上げ飲み会に参加したのですが、そこで参加者の一人、中山靖子さんから面白いお話を聞きました。
「『ぎゃくせん』って知ってますか?今日の臨の会ではなかったけど、『ぎゃくせん』をする歌会もあるんです」

( ゜д゜)ギャクセン? ←ハリセンみたいなものを考えた湯呑さん

中山さんの丁寧な説明で分かったのですが、「ぎゃくせん」とは「逆選」つまりワースト歌を選歌することです。
通常、歌会では自分が良いと思った歌ベスト1〜3ぐらいまでに持ち点を投票するのですが、「逆選」をする場合はワースト1〜3にも投票するのです。これによりトップ賞と同時にワースト賞も決まるわけです。
歌会初参加で逆選ぶっちぎり一等賞だったら、短歌どころか人生捨てたくなるところだったので、無くてよかった…とその時は思ったのですが、後々になってだんだんと、「いや逆選もアリだよな…」と思えてきました。

みんな自分の好きな歌の良い点はバンバン褒めたいけれど、良くない歌への批判はあんまりしたくない。誰の歌かは分からなくても参加者の誰かのなんだし、その人を傷つけたくない。そう思うわけです。でも悪い点を指摘しなければ、その人はどこが悪かったか分からないままで、引き続き良くない歌を作り続けてしまうか、最悪短歌をやめてしまうことになってしまいます。
それに、褒める意見は、作者としては「意図が当たった!」ことが分かるという意味ではいいけど、それ以上の益はなくてちょっとさみしい。逆に批判的な意見は改善アドバイスのカタマリであって、作者にとって非常に有意義です。だからあらかじめ「逆選」を設けて、「逆選だから言いますが、この歌はこの点がちょっと…」と批判的な意見を言いやすくするのが、批判の苦手なニッポンジン的に良いんじゃないかと思いました。

今回臨の会では逆選はなかったのですが、皆さんさすがの歌会熟練者で、逆選なんかなくても批判的な意見が積極的に出されていました。いやーもうあの人もこの人も言う言う言う(^^; でもそのどれもが「批判こそ向上につながる」という思いに沿った、愛のあるものだったと思います。

また、通常の歌会では得票数の多い歌から順に評をしていくことが多いようですが、今回臨の会では、資料掲載順で歌の評がされていき、どの歌も得票数に関わらずきちっと時間をとって議論されていました。多分私のような初心者が、票がとれずに最後の方に回されてコメントもほとんどなくて鴨川に身投げしたくなるのを予防する処置だったと思いますが、「あらゆる人に開かれた歌会」の看板はダテじゃない、と感激しました。

掲載歌、もう皆さんお分かりと思いますが、「好きよりも嫌いよりも、一番悲しいのが関心すら払ってもらえないこと」というのを言いたくて引用させて頂きました。ユキノさん素晴らしいです。今後もし歌会で自分の歌が批判されても、それも愛だと思えるようなオトナを目指して頑張りたいと思います。

色々考えさせてもらった「臨の会」。安達さん阿波野さん廣野さん、他の参加者の方々、本当に本当に、ありがとうございました!!次回もぜひぜひ、参加したいです!

===
<前回記事の補足というかなんというか>
前回記事、「歌会とは参加者の技術向上の場である!」という立場で書きましたが、そればっかりでもないなあ、交流の場でもあるし、向上とか関係なく良い歌を鑑賞して語り合いたい、というのも別にアリだよなあ…と反省しました。特にポジティブな意見については、「感想」であってもあまり気にせずどんどん言った方がいいのかな、と思いました。
(あの記事で今度の「空き家歌会」に出る自分の首を思いっきり絞めたような(^^;…皆さん私が「感想」を言っても、どうかあったかい目で見て下さい…)

◇2013.05.15◇

いつだってあなたがうたを呟けばきっと誰かに魔法をかける
(嶋田さくらこ/短歌なzine「うたつかい」第1号巻頭歌)

西村湯呑の勝手に選歌集「すきなうた」、大幅に増強いたしました!!
お気に入り歌が7首以上あるステキ歌人様を一挙掲載!既紹介の歌人さんたちも歌を大増量!!

【新しく紹介(新規ページ設置)させて頂いた歌人の方々】
飯田彩乃さん、飯田和馬さん、岡野大嗣さん、木下龍也さん、こはぎさん、嵯野みどりはさん、たたさん、
田中ましろさん、まひろさん、虫武一俊さん、山田水玉さん、山本左足さん、ユキノ進さん、龍翔さん

【既設ページに増補させて頂いた歌人の方々】
牛隆佑さん、嶋田さくらこさん、じゃこさん、鈴木麦太朗さん、脇川飛鳥さん

万一誤植等があったり、「この歌の掲載はちょっと…」なものがありましたら電光石火で修正削除致しますのでご連絡下さい!あと「作者は分かるけど出典不明」の、ネットで拾った歌が一部あるのですが、ご存知の方は教えて頂けますと助かりますm(_ _)m
紹介といいながら、まだどの歌も紹介文が一切なくてごめんなさい!これから三日おきに一首ずつ、心を込めてトップページで取り上げさせて頂きます!全部に紹介文をつけるのに何年かかるんだ的な量ですが、湯呑のヤボヤボな説明なんかそもそもいらない、一読フォーリンラヴ(?)な歌ばっかりなので、もうこのアップで全てやり遂げたような気もしています(^^;

掲載歌、「うたつかい」の記念すべき第1号の巻頭歌を引用させて頂きました。本当に、素敵な歌は魔法のように気分を明るくしてくれたり優しい気持ちにさせてくれますね。今回アップさせて頂いた方々は、みんな凄腕の「うたつかい」ばかり。そりゃもうサリーちゃんのパパママクラスの実力者たちです。彼らの魔力を思いっきり拝借し、たまにどさくさの自作をまじえながら(^^; 引き続きオモロいサイトを目指して参ります。

◇2013.05.18◇

【歌会たかまがはら5月号 お題「子」】
うちの子に喪黒福造の笑い方おしえた奴はどこのどいつだ
ああお前は確かに俺の子なんだろうウコンウコンと連呼する子よ
(西村湯呑/「歌会たかまがはら」5月号採用歌(放送外))

こ の タ イ ミ ン グ で 自 作 か よ ! !(幻聴)
ごごごごめんなさいm(_ _)m 次回はちゃんと他の方の歌を紹介します!フォロー解除しないでください(?)

5月5日放送の「歌会たかまがはら」 お題「子」で、ゲストのさまよいくらげさんに喪黒の歌、主宰のうずめさんにウコンの歌を選んで頂きました!喪黒の歌て。

実は今回の記事を書いたのは、「歌会たかまがはら」主宰者うずめさんに平謝りなことがあったからです。
この回のたかまがはらに投稿する際のメールで、わたくし湯呑、こんなことを書きました。
「いつも楽しく視聴しております!ところで、放送の中で、音声だけでは意味が分かりにくい歌が時々あるので、せっかく映像もあるんだし、スケッチブックとかで字幕を出してはどうでしょうか?」

…ハイそうです。情報弱者っぷりでは他の追随を許さない湯呑さん、放送中の歌や話題が「歌会たかまがはらツイッター(@utamagahara)」で同時ツイートされていること、ユーストリームの画面の隣にそれを表示できることを、ぜんっぜん知りませんでした!!(今回放送を視聴中に初めて気づきました)
メールを読んだうずめさんの頭に?マークが綺羅星のごとく流れたかと思うと切腹したいです。

うおおおおと頭を抱えながら放送を視聴していたら、終わりのところで、うずめさんより、たかまがはらスタジオの背景空きスペースを利用したスケッチブック広告コーナー『たかまがはらのココ空いてますよ』の新設が告知されました。

( ゜д゜)スケッチブック!スケッチブックでてきた!ワーイ! (※いや多分全然関係ないから)

各地で開催される歌会の宣伝などに、もってこいの広告コーナー『たかまがはらのココ空いてますよ』。
湯呑のたわ言とはまったく別のかたちでの映像の有効活用アイデアに、ホェーと感心しました。うずめさんが番組の改良に日々心を砕いておられることが、改めてよく分かりました。何よりネーミングセンスが良い!!(^^;

楽しい短歌トークに加えて、短歌界(特にツイッター短歌界)の最新イベント情報も知ることができる、一粒で二度おいしいたかまがはら。次回のゲストは、近著「眩暈リチェルカーレ」でファン急増中の飯田彩乃さん!お題は「酒」!私も飲んで飲んで大恥なことはぜんぶ忘れて酒短歌作りまくります!

◇2013.05.21◇

カンダタがつかんだ糸は母さんの白髪みたいな色だったろう
(飯田彩乃/「眩暈リチェルカーレ」より)

泣 け る (;o;)
極悪人カンダタにも母さんがいて、愛され育った幼少期があったのだろうとか、たとえわが子が窃盗殺人のあげくに地獄に堕ちたような人非人でも、母さんは一片の迷いもなく、自分の髪全てを抜いてでも救いの糸にするだろうとか、なんかもういろいろ考えさせられてもうもうもう。名作小説に新たな魅力を加える、こういう短歌もあるのだなあと大感動しました。

飯田彩乃さんの歌集「眩暈(げんうん)リチェルカーレ」は、どことなく幻想的で、じーんと沁みる歌がいっぱい。皆様もぜひぜひご一読をお勧めします。ちなみに湯呑さんは文学フリマで購入するまで「めまいリチェルカーレ」だと思っていたなんてことは内緒です。今回の記事のどこかできんのかんむりとかロマリアとか書いてボケようと思ったけどぶちこわしになるからやめたのも内緒です。

◇2013.05.24◇

鞄からいつかのチェルシー(ヨーグルト味)が出てくるほどの高揚
(飯田和馬/「短歌男子」より)

あるある感が好きすぎる( ゜д゜) 「あるあるのうた」の看板を差し上げたいほどに。(いらんて)
実際に鞄からチェルシーが出てきた経験なんかないのに、すごーく実感できるこの感じ。飯田和馬さんの、日常のふとしたことの切り出し方や、たとえのうまさにはあこがれてやみません。チェルシーヨーグルト味という、心のエッジを爆走するこのチョイス、もうたまらん(^^;

私の鞄から何か出てきた経験と言えば、栗拾いに行って拾った栗の一部を鞄のポケットに入れたまま忘れて、何日かたってから気がついて見てみたら、大きな穴のあいた栗と白く丸々と太ったやめようねこの話!

◇2013.05.27◇

【 第4回空き家歌会 お題「肉」 詠草紹介 その1 】
A  生活に関係のないひとだから一緒に食べるお肉がまずい
(奈良絵里子)
B  鉄製の大蛇が私を飲み込んで今日も社会の肉になります
(こゆま)
C  金出して太ったのちに金出して痩せようというやつだお前は
(福島多喜)
D  魚肉ソーセージをギョニーと呼ぶことを君と暮らした証にします
(西村湯呑)
E  ステーキにハエが三匹群がっているからこれは美味い肉だよ
(まひろ)

あ き や に い っ た よ  (≧∀≦)  (「のぞみにのったよ」風に)

私の中で長らく聖地であった、大阪某所の「空き家」。
関西ツイッター歌人の心の拠り所・「空き家」で開かれる「空き家歌会」は、毎回もうそれはそれは楽しげで(動画配信中)、いつか参加してみたいとずっと思っていました。
そしてこの度、長年の夢が叶って、5/25の第4回「空き家歌会」に参加させて頂きました!至福の時間を過ごさせて頂いた記念に、今回から1回5首ずつの3回シリーズで、歌会の詠草を紹介しつつ、当日の様子も含めて語っていこうと思います!

A  生活に関係のないひとだから一緒に食べるお肉がまずい  (奈良絵里子さん)

あふれる気まずい感。うんうんよく分かる。
でも、一生関係のない人なら、もはや完全無視してお肉を味わってもいいのでは?(←鬼畜)
「利害関係がありすぎて、一緒に食べたくないけど断れない人との食事」という歌の方が、気まずさゲージがより上昇するように思いました。
良い点としては、「お肉」の「お」の一文字で、肉が好物であること、好物なのにまずい、というニュアンスを出しているのがすごいと思いました。

B  鉄製の大蛇が私を飲み込んで今日も社会の肉になります  (こゆまさん)

私は「鉄製の大蛇=社会」と解釈していて、チャップリンのモダン・タイムスみたいでちょっと発想がベタかな…なんて思っていたのですが、歌会で他の方の「鉄製の大蛇=通勤電車」という解釈を聞いて、おおお!と目が覚める思いでした。反省。
そしてこの歌、参加者最年少、まだ学生のこゆまさんの歌と聞いてみんなびっくり。その若さでいったいどっからこんなサラリーマンな歌が。こゆまさんといい、後で紹介する安達さんやちょろ玉さんといい、みんな大学生であり私より十歳以上も下なのに、詠む歌がどれも達観というか老成というかなんというかもう、日本の未来は明るいと確信します。(なにその結論)

C  金出して太ったのちに金出して痩せようというやつだお前は  (福島多喜さん)

この歌は言葉通りじゃなくて、諸行無常みたいなスケールの大きいことを言っているような気がして、でもさすがに言い過ぎかと思って歌会中には言わなかったんですが、最後の作者発表の時に、作者・福島多喜さんが「これは個人が太った痩せたの歌ではなくて、社会の比喩です」といったことを言われて、あああああ言っときゃよかったと悔やんだのでした。深い歌です。(今さら)

D  魚肉ソーセージをギョニーと呼ぶことを君と暮らした証にします  (西村湯呑)

某湯呑さんの歌。自歌自解で恐縮ですが、作者はまぎれもないおっさん湯呑でも、一応女性の気持ちになって作った歌でした。でも、歌会で作中主体が男か女かについて意見が分かれた時、スペシャルゲスト・江戸雪さんが「こりゃ男だよ。女はそんなもんソッコー忘れるね」の一言で湯呑の女性幻想をこっぱみじんにして下さったので、江戸雪さんはやっぱり素敵な人だと思いました。(また結論がおかしい)

E  ステーキにハエが三匹群がっているからこれは美味い肉だよ  (まひろさん)

これを歌会に出した作者の勇気に一票を投じようかと思いましたが、やめました。(どないや)
この歌、歌会では「アメリカンジョーク的な軽妙さが面白い歌」という意見が大勢を占める中、湯呑さんは一人思いっきり深読みして、「ハエが群がるぐらいだから美味い肉なのだろうが、ハエのせいでもう食べられないから、美味いという証明は永遠にできない。しかし証明できないことによって、その肉は永遠に『美味い肉』であり続ける」という自分でも何いってんだかわかんない禅問答のような解釈を展開して皆様をボーゼンとさせていました。賛嘆のボーゼンでないことだけは確かです。でも作者・まひろさんに喜んで頂けたので悔いはないです。

それでは、また次回!

◇2013.05.31◇

【 第4回空き家歌会 お題「肉」 詠草紹介 その2 】
F  濡れているナガミヒナゲシに肉はなく胸の火という言葉をおもう
(江戸雪)
G  せつなさは耳から来ると知りながら啜るばかりの焼肉のたれ
(虫武一俊)
H  肉球がないからだろう 生きていくのがこんなにも大変なのは
(檀可南子)
I  椎茸をステーキとして出すやつが三歩うしろで微笑んでいる
(じゃこ)
J  鉄製の箸にはさまれ生肉がダリの時計に擬態していく
(ちょろ玉)

第4回「空き家歌会」詠草紹介、第2弾!長いよー!

F  濡れているナガミヒナゲシに肉はなく胸の火という言葉をおもう  (江戸雪さん)

「この歌は難しくってググりにググって調べたのですが、ナガミヒナゲシは『肉色』と呼ばれるオレンジ色の花で、肉色の花が濡れているのは、涙で頬が濡れているように見える。でもそれは本当の頬じゃなくて血の通わない冷たい花びらで、つまりは嘘泣きというか心のこもらない涙。『胸の火』は嫉妬の炎のことで、炎なのに冷たい炎。『本来熱く、温かくあるべきものなのに、自分の胸はなぜそらぞらしく冷たいのだろう。このナガミヒナゲシのように』という、自分のどうしようもない負の感情を吐露する歌と思いました」

…というようなことを言いたかったのですが。実際はもう最初からわけわかんなくなって多分こんな感じ。

「ググりにググって調べたのですが、ナガミヒナゲシふじゃ肉色ほじゃオレンジふじゃ嫉妬ふじゃふじゃ炎なのに冷たいほじゃほじゃ冷と温るるるるる良い歌でした」 (*怖くてユーストリームは見ていません)

しかも他の方の解釈を聞いてると、どうも「秘めたる情熱」みたいなポジティブな歌であるらしい。るるるるる。
どうしても難解な歌ですが、しかし意味よりも前に、初見の時の「胸の火」という言葉のインパクトが強烈でした。歌会の歌じゃなくても、きっと同じようにググりにググっていたでしょう。それだけ力がある歌だと思いました。


G  せつなさは耳から来ると知りながら啜るばかりの焼肉のたれ  (虫武一俊さん)

これもまた他の方々と私の解釈が大きく違った歌でした。

皆さん「焼肉のたれを啜る貧乏学生。そんなことをしたらズルズル啜る音でみじめな気持ちになると分かっているけど、でもそれしかないからズルズル啜る」

湯呑「何かつらいことがあって、ある種の音を聴くと切なくなってしまう。耳をふさげば切なさから逃れられるけれど、切なさを受け止めていたい自分もいて、耳はふさがない。でもそのままでは狂ってしまうから、辛い焼肉のたれを啜ることで、無理やり正気を保っている。そういう鬼気迫る歌」

ただ、言ってる途中で思ったのですが、私の解釈なら、焼肉のたれ程度の辛さではいかにも中途半端。
タバスコ啜るぐらいじゃないと。(死ぬよ)
ここはやはり皆さんの解釈で、「生きるために生きなきゃならない時もあるよね」というような意味が妥当かと思います。色々考えさせられる歌でした。


H  肉球がないからだろう 生きていくのがこんなにも大変なのは  (檀可南子さん)

猫好きの皆様に大人気だった歌。
「肉球」について、私は外圧からのクッションとか、「かわいがられ要素、愛され要素」の比喩、社会でうまくやってくスキル…みたいにとったのですが、どなたかが言った「自分の手に肉球があったら、ふにふに触って癒されたい」という意見が絶大な支持を集めたのにびっくりしました。 肉球ってそんなに強力な癒しグッズなのか。猫を飼ったことのない私にはカルチャーショック(?)でした。猫いらないから肉球だけ下さい。←最低


I  椎茸をステーキとして出すやつが三歩うしろで微笑んでいる  (じゃこさん)

この歌、今回の詠草で一番好きでした!
「三歩うしろで」という表現から微笑んでいるのは妻、したがって主体は夫となるわけですが、夫の後ろに控えて従順なふうを装いながら、時には椎茸をステーキと称して有無を言わせない強さを持つ妻と、そんな妻を「やつ」と呼んで「もーウチのやつときたらやんなっちゃうよね」な感じを出しつつも、内心ではものすごく頼りにしている虚勢張り屋で気の優しい夫。二人の一筋縄ではいかない関係性がギュッと凝縮された、ストーリーを色々想像できる秀歌と思いました。(単に夫が妻の仕打ちに腹を立てている歌にも読めなくはないですが、それだとこういう表現にならない気がします。字間からにじみ出る信頼と愛情…)

それにしても、作者発表でこれがじゃこさんの歌と聞いてぶったまげました。まさかの女性作者による男性視点とは。常に僕らの予想のななめ上をいくじゃこ師匠です。


J  鉄製の箸にはさまれ生肉がダリの時計に擬態していく   (ちょろ玉さん)

この歌はナガミヒナゲシよりも分からなくて、ついに自力では意味がとれませんでした。
歌会でどなたが言ったか、「皆で焼肉をしていたら、ふと肉がダリの時計に思えた。その場で話しても、誰にも理解してもらえないだろう自分だけの幻想を、歌にしてみた」という解釈が、自分の中ですごく腑に落ちました。
誰にでもそういうマイ幻想みたいなものはあって、日常では口に出せないそれを短歌で表現するっていうのは確かにあると思います。

歌会で、私は「『擬態』という語は、『肉が食べられたくなくてダリの時計に化ける』というような意味になってしまうので適切ではないのでは?」という意見を、昆虫の生態が云々とかいってけっこう長々しゃべったのですが、その後に江戸雪さんが、「『擬態』では能動的になるのよね」とたった一言で要約されたのがカッコよすぎて鼻血が出そうでした。

あと、じゃこさんが「ダリの時計知ってることが前提の歌か!博識臭がする!」って言ってたのが面白くて、かつ一理あると思いました。
ただ私個人的には、歌を読んで以来、往年のCMソング「ダ〜リてる♪ ダ〜リてる♪ダリちゃったらゼナ!ゼナ!」が頭に鳴り響いていたので、「ダリの時計」はどちらかというとコミカルなネタっぽいイメージでした。でも、歌会の最中に「ゼナ!ゼナ!」と歌い出しても誰にも理解されない(どころか救急車呼ばれる)ので言いませんでした。そう、この歌はそういう理解されない小ネタの歌なのだ!オレうまいこと言った!(そうか?)

以上!次回もあの人やこの人の歌が!どうかお楽しみに〜!