2012年12月の過去ログ

◇2012.12.17◇

題詠blog2012より:フユさんの短歌】
お題14「偉」
ピーマンとブロッコリーが好きなんて 偉人としかきみ、言いようがない
お題60「プレゼント」
プレゼントしたかったけど鳥取の砂丘は大きすぎて、ごめんね
(フユ/ブログ「パラソル」より)

私も参加していたWebイベント「題詠blog2012」の投稿者の中で、 特にツボだった方々を紹介していきます。
まずはこの方、フユさん。普段は主に詩を作っておられる詩人さんなのですが、詩人ゆえの独特な視点なのか、意外な切り口の歌が多く、「うぬ、そのお題でそう来るかぁ!やられた…ギリギリ(歯ぎしり)」と、うなってしまう歌の数々でした。
私を含め、パロディネタや一発ギャグでインパクトを狙いがちな投稿者たちの中で、フユさんは掲載歌のようにほのぼのした優しい内容の歌を淡々とアップしながら、それでいてどの歌も目を引くユーモアがありました。その発想力、うらやましい限りです。
掲載歌はいずれも「大げさ歌」とでもいうべき手法で、私もよくやりますが、フユさんセンスいいなぁ…とあこがれてしまいます。ギリギリ。特にプレゼントの歌は、砂丘以上に大きなものをもらえたような、あたたかい気持ちになれる大好きな歌です。フユさんのステキ短歌、次回も続きます。

◇2012.12.19◇

題詠blog2012より:フユさんの短歌 その2】
お題89「喪」
谷くんは給食のプリンとり落とし放課後ずっと喪に服してる
お題100「先」
マネキネコダックの着ぐるみ今週は先輩がやるやっぱり上手い
(フユ/ブログ「パラソル」より)

前回に続き、フユさんの題詠短歌。
見事にお題を裏切った例として、額に入れて飾っておきたい歌二首です。
「喪」のお題はどの投稿者もみんな、「喪服」とかお葬式歌、あるいは「喪失」として詠み込み、いずれにせよ暗い悲しい歌になってしまっていたところを、まさかのプリン。参りました。
「先」は題詠100題の最後のお題。有終の美を飾るべく、みんな壮大なテーマの歌、あるいはゴールを祝う歌にするのかな…と思いきや、意外と普段のノリで詠んでいる人も多かったのですが、その中でも フユさんの脱力感は突出していました。マネキネコダックて。コーヒー吹いたよ。最後の最後でこう来るとは。
そんなこんなで、すっかりフユさんの膝カックン的な歌に魅了された西村でした。まだまだ面白い歌があるので、どうか皆さん「パラソル」をご覧下さい! 来年もフユさんの華麗なる裏切りを、心より楽しみにしております。

◇2012.12.21◇

題詠blog2012より:流川透明さんの短歌】
お題「秋」
秋までは待とうと言ったあの人に秋が来なくなって七年
お題「企」
事務的に婚姻届けを差し出せばいい企画ねと判を押される
お題「的」
抱きしめるその腕さえも刹那的未来信じぬ愛もまた愛
(流川透明/ブログ「秘密基地は雲の中」より)

題詠blog2012で出会った歌の達人シリーズ、二人目は流川透明(るかわ とうめい)さんです。
この方もまた詩人さんなのですが、なんというか、歌のストーリー仕立てがすごく上手くて、どの歌も前後の物語をあれこれと想像してしまいます。こういう歌に目がない私は、流川さんの題詠に秘孔を突かれまくりでした。

お題「秋」:一図に待ち続ける切なさが見事に表現されています。どうか、あの人に秋が来ますように。
お題「企」:こういう素直じゃないカップル、大好きです。末永くお幸せになりやがれ。
お題「的」:「未来信じぬ愛もまた愛」!!「未来信じぬ愛もまた愛」!!!←フレーズが好き過ぎてぶっ壊れた

どの歌からも一本の小説が書けそうな、すばらしきストーリーテラー・流川さん。次回も続きます。

◇2012.12.23◇

題詠blog2012より:流川透明さんの短歌 その2】
お題「チャンス」
放課後は毎日二人あったのにチャンスはいくらでもあったのに
お題「犀」
公園の金木犀が薫る頃思い出すのはあの日の喧嘩
お題「蹴」
蹴り上げた缶どこまでも美しく隠れる事も忘れてしまう
(流川透明/ブログ「秘密基地は雲の中」より)

ふたたび、流川透明さん。今回は切なくなる歌三首。
多くの読者が「その気持ち、わかるわかる」と共感してしまう、確かな題材の選択眼に嫉妬してしまいます。

お題「チャンス」
毎日「明日があるさ」と言い訳しながら、いつのまにやら卒業式。学生の皆様、ノーモア西村。

お題「犀」
何かをきっかけに呼びさまされる過去、という歌はよくありますが、金木犀の甘ったるくもどこか切ない薫りが、書かれていない別れまでも想起させる秀歌です。

お題「蹴」
子どもの頃、誰もが一度は遊んだ「缶蹴り」。真っ青な空に吸い込まれていく缶に、急いで隠れなければならないはずのみんなも、そして缶を追いかけるべきオニまでも、ただボーゼンと見入ってしまっている。ルールとか、敵とか味方とか、 そんなものがすっとんでしまう圧倒的な美しさが、あの頃にはそこここにありました。

というわけで、流川さんの歌の魅力の、ほんの一端を紹介させて頂きました。他にも、ちびりそうにホラーな歌や、「惚れてまうやろ〜」なドキッとする恋歌まで、流川さんの百首には一首一首に物語があります。どうか次回題詠blogでも、 たくさんの物語を紡いで下さい!

◇2012.12.25◇

題詠blog2012より:じゃこさんの短歌】
お題「劇」
一斉に劇画タッチの顔をしてこの絶望を共有しよう
お題「ドライ」
良いドライマンゴーと良くないドライマンゴー分けて混ぜてから食う
お題「脂」
脂身のない肉なんてうちのおらん地球みたいなもんやでしかし
(じゃこ/ブログ「めくるめく」より)

題詠blog2012で出会った歌の達人シリーズ、三人目は泣く子も笑かすじゃこさんです。
プロフィールによると、じゃこさんが短歌を始めたのは2009年10月とそんなに昔じゃないのですが、既にWeb短歌界では広く知られた有名人。抜群のギャグセンスととぼけた大阪弁がじゃこさんの武器ですが、それが生きるのも、しっかりした 文章力の地力があるからと思います。まだお若いのに、安定した実力を持つすごい方です。

お題「劇」
これウケました。なんでかゴルゴ13の顔が浮かんだ。絶望するゴルゴ。

お題「ドライ」
食うんかーい!!と全力でツッコんで脱臼しそうな歌。でも一種の比喩として、こういうことってよくありそうな気がする。実はすごーく深い歌なのかも。

お題「脂」
故・横山やすしさんが浮かんだのは私だけでしょうか。旨いけれど体に悪い、脂身。そのビミョーな例えっぷりがたまりません。

どの歌もツッコミがいのある絶妙のボケ風味。当然のごとく次回に続きます。

◇2012.12.27◇

題詠blog2012より:じゃこさんの短歌 その2】
お題「桃」
桃まんを両手に持って怒ってる左手の方だけ食べながら
お題「敷」
もし僕が死んだときには棺桶におっぱいを敷き詰めてください
お題「触」
触角の辺りをよけて撫でてくれるあなたにならばついて行けそう
(じゃこ/ブログ「めくるめく」より)

じゃこさん短歌ふたたび。もはやノーリーズンですが、野暮なツッコミを入れさせて頂きます。

お題「桃」
なんでか両手に桃まんを持った不動明王が浮かびました。憤怒の形相で、桃まん。

お題「敷」
いや、あの、おっぱいが好きで選んだんじゃなくて。好きだけど
女性だからこそ詠める歌であり、屈託なく笑えました。安らかに成仏できそうです。

お題「触」
これは、笑かしの歌ではありませんが。こういう「何だか分からない人外のモノ」が出てきて、なおかつ「でもその感覚は分かる〜」と共感できる歌を作るのって、けっこう難しいと思います。時おりこんなファンタジックな歌があるのも、じゃこさんの魅力の一つです。

じゃこさんは題詠blogだけでなく、ネットのあちこちでじゃこ風味あふれる楽しい短歌を発表されています。また折にふれ、それらの傑作ネタの数々も当サイトで紹介させて頂こうと思います。待ちきれずに「じゃこ」で検索して、「ちりめんじゃこパスタ」とかが出てきてコケたあなたは、もう立派なじゃこさんファンです。

◇2012.12.29◇

題詠blog2012より:鈴木麦太朗さんの短歌】
お題「息」
吸う息に君の香りが混じってて余計なことをしゃべってしまう
お題「詰」
うまい棒ぎっしり詰まったポリ袋それは悲哀のひとつのかたち
お題「脂」
先輩の同じ話を聞きながら豚の脂身きれいにはがす
(鈴木麦太朗/ブログ「麦畑(題詠blog用)」より)

題詠blog2012で出会った歌の達人、四人目は鈴木麦太朗(すずき むぎたろう)さんです。
投稿短歌の世界では既にベテランの域におられる方で、どの歌にも熟練の腕を感じます。
題詠blog2012では、なんと2位でゴールという俊足。それでいて百首いずれも一定以上のクオリティだからすごいです。 投稿者としての勘どころをきっちり押さえたその技巧に、妬いて妬いて妬きまくりです。

お題「息」
うーんあるある。「俺ハーフなの。滋賀と京都の」とかどうしようもないオヤジギャグ言って勝手に玉砕したり。

お題「詰」
スーパーでこのうまい棒ぎっしり袋を見た時の悲しみ、分かります。誰が悪いわけでも、何がよくないわけでもないんだけど。百円玉を握って駄菓子屋に駆け込んだ昭和の子ども達に共通する、チクリとした痛みです。

お題「脂」
「同じ話」と「脂身」の、余分で重たい感じがうまくリンクしてて笑えました。「脂」は難しいお題だったと思いますが、じゃこさんといい麦太朗さんといい、こういうところで秀歌を出してくることに力量を感じます。

ありふれた日常も視点次第でこんなに面白い、と気付かせてくれる麦太朗さん短歌。次回も続きます。
なお、年末特別番組編成(?)により、次回更新は明日30日にします。30,31日連続更新します。お見逃しなく!

◇2012.12.30◇

題詠blog2012より:鈴木麦太朗さんの短歌 その2】
お題「散」
ひとさじの龍角散にむせぶ夜ふと思い出す初恋のひと
お題「敗」
太陽の愛に敗れた北風は南の方に行くほかはなく
お題「貝」
つぶ貝が流れてきたら取るだろう十メートルの旅路の果てに
(鈴木麦太朗/ブログ「麦畑(題詠blog用)」より)

ふたたび、鈴木麦太朗さん。今回はちょっとしんみりする歌セレクト。そして三首目に意外な展開が。

お題「息」
風邪を引いて気弱になると、色々思い出してしまうものですよね。
ただ私の場合は、初恋の人が目の前にいて、風邪ひきはうっとうしいから早く寝ろとか言います。

お題「敗」
勝った太陽ではなく、敗れ去った北風へのまなざし。ヒールなくしてヒーローなく、例えばバイキンマンとかケムマキ君とか(古い…)、 常に敗れる運命の彼らもまた、愛すべきキャラクターなのだと思います。

お題「貝」
つぶ貝が一生を費やして這い進んだ十メートル。それが波に流され、また元の場所に戻ってしまった。
誰の人生も、いつかはこんなふうに無に帰してしまうのだろうけど、だからってけっしてそれが無意味ということじゃない、という気持ちが「取るだろう」に表れているように思います。お釈迦様の手みたい。

※上記のように書いたところで、妻から「これ回転寿司の歌なんじゃないの?」と言われてびっくりしました。
 十メートルって回転寿司のコンベアのこと?誰にも好かれず流れ続けるつぶ貝に、自分を重ねた哀歌?
 そ、そう言われればそう思えてきた。同じ歌でもこんなに解釈が違うことがあるんだなあ…。
 面白かったので、あえて麦太朗さんには真意を聞かずに両方書いてみました。
 どちらの解釈にせよ秀歌とは思いますが、はたして真相は?麦太朗さん教えて下さい!

というわけで、最後にとんだお願いまでして麦太朗さんごめんなさい!
多作で知られる麦太朗さん、メインブログ「麦畑」にも、西村お気に入りの短歌がゴマンとあるので、また折々、紹介させて頂きます。 そしてまた、次回の題詠blogでも、その遥か遠――い背中をヒーコラいいながら追わせて頂きます!

◇きょうのうた 2012.12.31◇

生きてゆく 返しきれないたくさんの恩を鞄につめて きちんと
(笹井宏之/「てんとろり」より)

今年のシメまで他人様の歌かーい!という声が聞こえてきそうですが。そうです。←開き直った
短歌を通じて出会った方々に、心よりありがとうを伝えたく、それにはこの歌がふさわしいと思いました。
もっぱら詩的で幻想的な短歌を得意とした笹井さんには珍しい、ストレートな歌ですが、きっとお世話になった方々に「きちんと」お礼をいうために、あえてこうしたのでしょう。歌集のファンタジックな歌たちの中で、この歌が放つ異彩に、笹井さんの律儀さが偲ばれて涙を誘われます。
「てんとろり」が発行される前にこの世を去られた笹井さんですが、珠玉の作品たちに姿を変えて今も確かに生き続け、恩返し以上のことをしておられるように思います。

今年8月末に突如Web上に出現し、生まれたての小鹿のようにヨロヨロと歩み始めた「あるあるのうた」。
あるあるでもポジティブでもない、看板に偽りまくりのダメサイトに温かいご声援を送って下さった、
天野慶さん、石原ユキオさん、筒井孝司さん(笹井宏之さんのお父様)、佐々木あららさん、笹公人さん、じゃこさん、鈴木麦太朗さん、東直子さん、フユさん、流川透明さん、そしてダンサーUME2 BRAND-NEW*さん。
そのほかサイトでとりあげて下さった皆様、突然短歌にのめり込んで題詠とか秀歌とか口走るようになった西村を生あったかい目で見守ってくれた友人たち、そして妻に、心の底から御礼申し上げます。
本当に本当に、ありがとうございました。来年も引き続き、よろしくお願い致します。

2012年12月31日 西村湯呑

※「つぶ貝」解答編を書きました!ご覧下さい↓↓

◇2012.12.31(特別付録)◇

題詠blog2012より:鈴木麦太朗さんの短歌 その2の続き】
お題「貝」
つぶ貝が流れてきたら取るだろう十メートルの旅路の果てに
(鈴木麦太朗/ブログ「麦畑(題詠blog用)」より)

年の瀬にわが家で勃発した「つぶ貝論争」。詳しい内容は昨日12月30日の更新をご覧下さい。
作者・麦太朗さんから、さすがの俊足でご回答がありました。お忙しい中ありがとうございますm(_ _)m

「つぶ貝の歌、回転寿司が正解です。
もちろん短歌は発表された瞬間から作者の手をはなれているので、どのように読んでいただいてもまったく問題ありません。むしろ作者の意図と違った読みをしていただくと、なるほど、こういう読み方もあるんだなと感心して嬉しくなります。 湯呑さんの読み、ちいさな生き物に対する慈愛の念が感じられてステキなものでした」

回転寿司だったか…( ゜д゜)←放心

いやいや、それよりも、麦太朗さんの海のように広い心にシビレました。短歌イズフリーダム!
(ひょっとしてすごく失礼なことを聞いたかもしれん、と小鳩のようにプルプル震えてました)
以前読んだ「世界中が夕焼け」という本を思い出しました。この本は、歌人の穂村弘さんの短歌120首に山田航さんという別の歌人が一つずつ解釈をつけて、さらに穂村さんが歌の真意をコメントするという構成でしたが、 山田さんの解釈、120首のうち実に半分ぐらい間違ってました。でも穂村さんは、自分の真意とは異なる山田さんの解釈を嬉々として楽しみ、時に感心しておられ、短歌の自由さを感じた楽しい本でした。
もちろん、こうやって紹介する以上、作者の意図を汲み取ろうとする努力は必要です(反省…)が、31文字の制約ゆえに生まれる幅広い解釈、という逆説性(?)も、短歌の重要な魅力の一つだと思います。

しかしそれにしても、回転寿司だったか…妻に謝らねば…( ゜д゜)←水たまりのように狭い心の湯呑さん